チェスのプロ棋士 その5 プロ・チェスプレーヤーと引退

  昨年、将棋の加藤一二三九段が長い現役生活に幕を下ろしました。加藤九段の引退は順位戦C級2組からの降格と、竜王戦の敗退により決定したもので、以降日本将棋連盟が主催するプロ棋戦への出場資格は失われます。なお、加藤九段は日本将棋連盟の正会員、棋士の地位を保持するため、アマチュアプレーヤーとして活動することもありません。

  では、そもそもプロとアマの境界すら曖昧なチェス界の「引退」制度はどうなっているのでしょうか。

 

1.チェス競技者に「引退」はない!?

  チェスの世界はプロとアマの区分が曖昧です。一般の競技者の中で、結果的にチェスで金を稼げている人がプロです。チェスで飯を食っていようがいまいが、競技者としての扱いは同じです。つまり、過去にどんな実績があっても、どれほど年を取っても、力が落ちても、自分の意思で試合に出続ける限りチェス競技者としては現役なのです。

  ですので、「生涯現役」を貫くマスターも多くいます。かつて世界選手権タイトルマッチを戦ったVictor Korchnoiは老いてなお現役プレーヤーとして戦い続けました。脳梗塞で倒れたあとの復帰戦では、車椅子姿で対局会場に現れました。

chess-news.ru  GM Vitaly Tseshkovsky*1やIM Emory Tate*2のように、大会中に倒れてそのまま帰らぬ人となるマスターもいます。

 

2.競技プロからチェスコーチ、トレーナーへの転身

  最もポピュラーな選択肢が、チェスの指導者に転身するルートです。身体スポーツでもよくありますよね。

  そもそも、職業的なチェスプレーヤーの中でも賞金、大会の出場料、スポンサー料といった「競技者としてプレーそのものに対する報酬」で食べていけるプレーヤーは一握りのエリート層だけ。大抵の「チェスのプロ」たちは競技生活の傍らコーチングや著述で糧を得ています。加齢による体力、棋力の低下に伴って、競技を中心にしているプロたちも少しずつ指導者業に軸足を移していくといった感じですかね。

  パラグアイGM Axel BachmannやオーストラリアのGM Max Illingworthのようにはっきりした「競技チェス引退宣言」を出すプレーヤーもいますが*3、競技生活を続けるマスターのほうが多数派ではないかと思います。*4

  現役時代から、「引退後」を見越してチェス学校を開くGMもいます。中国の四川省成都では、オリンピアード優勝メンバーのGM李超GM王玥がチェス学校を営んでいます。

www.cygjxq.com

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2014年に立ち上げ、今では市内五か所に教室を構えているそうです。

3.別の道を歩む者たち

  チェスのプロには地位や収入の保障がありません。中々に不安定な職業ですし、苛烈な競争に対して稼ぎが良いというわけでもありません。*5ですので、グランドマスター級の棋力を持っていても若いうちに競技中心の生活にピリオドを打ち、別の分野で職を得るプレーヤーが沢山います。*6

  有名どころでは、かつてチェスの全米選手権で2位に入った経済学者のKenneth Rogoff氏、95年のタイトルマッチで後の世界王者Anandの研究パートナーを務め、その後金融界に進んだPatrick Wolff氏の名前が挙げられるでしょうか。

  なお、別の職業を持っていてもチェス競技者として活動を続けることはできます。GM級の棋力を持つチェスの世界の「セミプロ」、「アマ強豪」たちについてはこちらの記事で扱いました。

dame-chess.hatenablog.com

4.いつ戻ってきてもいい

  一度「引退」を宣言しても、何年ブランクがあっても、戻って来たければいつでも復帰できます。競技者としてプレーする意思さえあれば、いつでもチェス競技者に戻ることができます。

  2017年には、2005年に引退を宣言していたKasparovが5日間限定の「現役復帰」を果たし、注目されました。

www.afpbb.com   競技生活をやめて司書になっていたGM James Tarjanが30年の時を経て復帰し、復帰2年後に元世界王者のKramnikに勝利、という出来事もありましたね。

en.chessbase.com

   競技チェス界の扉は、いつでも大きく開け放たれているのです!

 

*1:

http://chess-news.ru/en/node/5385

*2:

https://www.chess.com/news/view/emory-tate-1958-2015-7615

*3:Bachmannの引退宣言

http://www.chessdom.com/gm-axel-bachmann-retires-as-a-professional-chess-player/

 Illingworthの引退宣言

https://www.chess.com/blog/Illingworth/announcing-my-retirement-from-competitive-chess

*4:統計がないのでわからない。

*5:少なくとも、サッカーやバスケットボールなど人気のあるフィジカル・スポーツのトップレベルと比べて

*6:先進国では、そうした非プロのプレーヤーのほうが多数派かもしれません