チェスの神童 その3  チェスのトッププレーヤーと高等教育

  囲碁の井山五冠は中学卒業後、学校には通わず囲碁一本で生活しています。一方、一力遼八段は大学に進学し、学生生活を送りながらプロ棋士として戦っています。チェスのトップ選手の進学事情も、バラエティに富んでいます。

 

2.進学しない人々

  将来世界のトップレベルで争うであろう有望なジュニアプレーヤーたちは、年間100戦近い公式戦をこなして実戦経験を積み、レーティングを上げていきます。海外遠征もあります。年中チェス大会を転戦する生活を送っていると、一般の中高生と同じような学校生活を送るのは難しくなってきます。

  また、有望なジュニアプレーヤーたちは10代でグランドマスターの称号を獲得し、更にレートを上げていきます。スポンサーがつき、多面指しイベントで報酬を受け取り、大会から招待され、勝って賞金を稼ぎます。彼らは10代で既にプロ選手なのです。

  普通に学業に取り組むことが難しく、実力的にもある程度プロとしてやっていけるジュニアプレーヤーにとっては、通常の教育課程を離脱してチェス一本に絞るという選択肢が現実的なものになってきます。

  例えば、GM Fabiano Caruanaは12歳でアメリカでの教育課程を途中離脱してチェスの本場欧州へ渡り、チェス一本に絞りました。欧州での武者修行中にGM称号を取得し、現在では世界ランク2位のトッププレーヤーとして活躍しています。

  GM Nigel Short*1は、16歳で教育課程から離脱した時のことを振り返って、こう語っています。

I never thought of university for a moment. As a chess player, it would have been a waste of time.*2

  「大学なんて時間の無駄」これも一つの考え方です。

 

2.進学する人々

2-1.競技チェス選手という不安定な職業

  チェスには、地位や収入を保証してくれる「プロ制度」がありません。一般のプレーヤーの海の中で、「チェスで稼いでいる例外的な存在」が「プロ」ということになります。競争は激しく、加齢による衰えからも逃れられません。制度的な保障がないため、プロのチェスプレーヤーは、トッププレーヤーであっても非常に不安定な状況に置かれます。

  チェス以外の選択肢を確保しておくために、学業に取り組むのは自然な選択と言えるでしょう。

   イングランドLuke Mcshane*3のように、トッププロとしてやっていける実力を持っていても一般の大学に進み、チェスと異なる業界へ就職するプレーヤーもいます。

 

2-2.チェス選手の進学ルート

a.体育大学で学位を取る

  中東欧を中心とした旧共産圏では、チェスがスポーツの一種目として定着しており、体育大学がアスリートとしてチェスプレーヤーを受け入れています。

  現代のトッププレーヤーでは、アルメニア体育大学を卒業したLevon Aronian*4北京体育大学に進学している余泱漪(Yu Yangyi)*5、リヴィフ体育大学を卒業したMzychuk姉妹*6あたりがよく知られているところでしょうか。

 

b.チェスを使って一般大学に進学する

   アメリでは、一部の大学がチェス奨学生を募集しています。中でも、GM Susan Polgarが運営するWebster大学の「SPICE」や、テキサス工科大ダラス校の奨学生コースが有名です。

www.webster.edu

www.depts.ttu.edu

  各大学は様々な国からチェス奨学生を受け入れており、チェスを使ってアメリカの大学で学ぶ機会を得ることができるのです。例えばベトナム第1位のGM Le Quan LiemはSPICEの一員としてWebster大学に入り、2018年に卒業しました。

  中国では、スポーツの成績優秀者が推薦入学のような形で名門大学に進める制度があります。この制度を利用し、現世界ランク3位の丁立人(Ding Liren)は北京大学*7、現ジュニア世界ランク1位の韦奕(Wei Yi)は清華大学*8に進学しています。*9

 

c.普通に一般大学へ進学する

  特にチェスの実績を利用することなく、一般の学生に混じって大学へ進むトップレベルのプレーヤーもいます。現代でよく知られているのは、スイス連邦工科大学ローザンヌ校の学士課程で数学を専攻したMaxime Vachier- Lagrave*10チェコの名門カレル大学で哲学を専攻したDavid Navara*11あたりでしょうか。

  チェスを利用しない進学を考えているプレーヤーは、学校へ通うことが難しい状態でも自主学習をして進学に備えています。

*1:1993年の世界選手権タイトルマッチでKasparovに挑戦した往年のトッププレーヤー。50歳を過ぎた現在はFIDE副会長職の傍ら、レート2600を超える棋力を保ってプレーヤーとしても活動を続けている

*2:

https://www.independent.co.uk/life-style/interview-even-madonna-cant-beat-nigel-nigel-short-is-just-huge-in-iceland-yet-here-chess-colleagues-1453646.html

*3:世界ユース10歳以下の部優勝、16歳でGM称号獲得。オクスフォード大学ユニバーシティ・カレッジ卒、金融界へ進む。チェス選手活動も継続している

*4:アルメニア1位のGM。世界王者への挑戦者を決める大会に何度も出場している

*5:中国第2位のGM

*6:姉妹揃って女子チェス界のトッププレーヤー

*7:

https://en.chessbase.com/post/who-is-ding-liren

*8:参考記事:

http://www.xinhuanet.com/politics/2019-03/12/c_1210080130.htm

*9:丁立人は法学、韦奕は経済・経営を専攻

*10:フランス第1位のプレーヤー。世界ランクでトップ10を維持している

*11:チェコ第1位のプレーヤー。長く2700+のレーティングを保っている