元チェス世界王者Vladimir Kramnik、現役引退を発表

  2019年1月29日、チェス大会「Tata Steel Chess」の主催者公式サイトにおいて、元チェス世界王者のGM Vladimir Kramnikがプロチェス選手生活を終える旨の発表が行われました。

www.tatasteelchess.com

  Vladimir Kramnikは1975年生まれの43歳。1992年に16歳でグランドマスターの称号を取得しました。2000年に当時の世界王者Kasparovとのタイトルマッチを制し、世界王者となります。*1

  Kramnikは2008年にAnandとのマッチで敗れ、世界王者の地位を失いましたが、2010年代に入っても世界トップレベルの棋力を維持していました。2018年は世界王者Carlsenへの挑戦者を決める大会、Candidates Tournamentに出場し見事なプレーを見せました。特に、Aronian戦は常識破りの序盤から鮮やかな収束に至る好局であり、グランドマスターから一般のチェスファンまで、チェス界を魅了しました。

  43歳という年齢になっても強さを見せていたKramnikの突然の引退宣言に、チェス界全体が驚くとともに、その引退を惜しんでいます。

 

1.最後の大会

  2019年1月に開かれたTata Steel ChessがKramnikにとって、プロ選手生活最後の大会となりました。Kramnikは、この大会を現役最後の大会にすると決めていたそうです。*2

  Kramnikといば、まずはミスが少なく隙を見せない堅牢なプレーが想起されます。相手に「勝ち」の1ポイントを与えない手堅いプレーを基調としつつ、勝ちにいく激しい展開や捨て駒を選ぶ場合でも、その背後には深い研究と緻密な読みがあるのが常でした。「いちかばちか」「出たとこ勝負」のようなプレーをしないのが“いつもの”Kramnikだったのです。

  2019年のTata Stee ChessでのKramnikは、普段とまるで違う姿でした。盤上に不均衡をもたらすことを好み、簡単に駒を捨てていきます。極端にリスクを取っていくプレーです。顕著だったのがポーランドの新星Dudaとのゲームでしょうか。

   成績は振るわず、「楽観的すぎるプレー」に疑問の声も上がりました。大会中のKramnikは、この大会での自身のプレーをこう語っています。

 「ただチェスを楽しみたい」「危険だということはわかっている」「強豪の集まる大会ではこういうプレーは報われないけど、少なくとも面白いゲームができる!」とにかく、チェスを楽しみたいという気持ちを語っています。

  更に、現役最終ゲームとなったShankland戦、Kramnikは簡単な引き分けの進行を拒否して劣勢に陥り、負けてしまいます。

 

  結局、Kramnikは現役最後の大会を13人中13位で終えました。Kramnikと同様40代前半での引退を選んだ元世界王者のKasparovが優勝を花道に引退した*3姿とは対照的な引き際です。

  「チェスのウィンブルドン」とも言われるこの大会で、結果を気にせず、思い切りチェスを遊び倒して去っていくKramnikの姿もまた深く印象に残るものではないかと思います。

2.Kramnikのこれから

  2月に入って、KramnikはロシアのGM Makarychevが運営するYoutubeチャンネル「Makarychev Chess」のインタビューに応じました。Chess24によって、このインタビューの内容が英訳されています。

chess24.com

  この中でKramnikは、引退後のプランをいくつか語っています。

2-1.教育プロジェクト

  一つ目は子供の教育についてのプロジェクトだそうです。技術の進歩によって、不確かさの増していく中、次の時代を生きる世代は「変化に対応する能力」が重要になると述べています。

  Kramnik自身はそうした能力をチェスを通じて高めていきたいと考えているそうです。

2-2.後進のチェスプレーヤー育成

  Kramnkは、次世代のチェスプレーヤー育成についても語っています。

  ロシアにはソチ五輪後の施設活用の一環として、「シリウス」というスポーツ、芸術、科学などの英才教育施設*4が開設されており、ロシアの若手チェス選手も「シリウス」で教育を受けています。Kramnikはこの「シリウス」を出た若手プレーヤーが世界のエリート選手入りをする準備をしたいのだそうです。

  Kramnikは過去10年にロシアから世界ランクのトップ10に入った選手はKarjakinとNepomniachtchiしかいないと指摘、状況を憂慮しています。

  Kramnikは、自身が幼少期に元世界王者Mikhail Botvinnikの設立したチェス学校で教育を受けたことを振り返りながら、自分もBotvinnikのように偉大なチャンピオンを育てたいと夢を語っています。*5

  このツイートで紹介されているのはBotvinnik学校時代のKramnikの写真ですが、将来的にはKramnik自身もこの写真に写ったBtovinnikのように、椅子に座って若いプレーヤーの姿を見つめるようになるのかもしれませんね。

2-3.執筆

  純粋なチェスの本*6と回想録の両方に取り組む予定があるそうですが、まずは「チェスの本」を書くそうです。

  Kramnikの前のチャンピオンKasparovは引退後、過去の名選手を語る「My Great Predecessors(偉大なる先人達)」シリーズや自戦記「Garry Kasparov on Garry Kasparov」を上梓し、高く評価されています。

  Kramnikがどんな本を残すのか、注目されるところです。

2-4.エキシビション・マッチ

  プロチェス選手として試合に出ることはない、と宣言したKramnikですが、非公式のエキシビション・マッチや多面指し企画についてはこれからも参加するそうです。

  個人的には、昨年セントルイスで行われたような、チェス960の企画に参加してほしいですね!

 

3.チェス界の反応

  ツイッターから、Kramnik引退に対するGMたちの反応を拾っていきます。 

 オランダ最強のGM、Anish Giriは一言、「レジェンド」

 イングランドGM David Howellは、11歳の頃にエキシビションでKramnikと指した時の写真を投稿。昨年のオリンピアードを含め、複数回Kramnikとプレーできたことは名誉だったと語ります。

 トップレベルのプレーヤーとして何度もKramnikと戦ったアルメニア第一位のGM Aronian。過去25年間のあらゆるオープニングに貢献した、とKramnikの功績を称えつつ、早すぎる引退を惜しんでいます。

 ロシアの後輩、Nepomniachtchiは絵文字。

   19歳のGM Jorden Van ForeestはTata Steel ChessでのゲームがKramnikとの初対戦でした。そのゲームを検討している最中に、引退の報に接することとなりました。

 チェス記者のSvensen氏は、チェス大会のために滞在していたホテルでの思い出を披露。大会に参加したGMたちとブリッツをして遊んでいる最中、Kramnikは自分の部屋からジンの瓶を一本持って降りてきたそうです。

 早指し王、GM NakamuraはSvensen氏のツイートを引用。Svensen氏が投稿した画像には、KramnikとチェスをするNakamuraの姿が写っています。

 セコンドとして世界王者Magnus Carlsenの研究チームにいるGM Peter Heine Nielsen氏は、2018年の世界選手権タイトルマッチで多用された定跡にもKramnikが大きく貢献していると語ります。

 一つ年下のロシアの後輩、Svidlerは幼少期にKramnikと同じチェス学校で教えを受けました。Svidlerがチェスプレーヤー生活を送る間、ずっと同じ競技者として存在し続けたKramnikが引退することについて、「Kramnikのいないチェスを想像できない」と述べます。

 10代の頃から30年にわたってKramnikとライバル関係にあった元世界王者Anand。「Vlady」と親しみのこもった呼びかけです。インドの新聞「Times of India」では、2010年のタイトルマッチでKramnikの協力を得ていたことも明かしています。*7

 

 

*1:当時は「FIDE世界王者」と「クラシカル世界王者」の分裂期にあたり、KramnikはKasparovから「クラシカル」の王者を引き継いだ。2006年、KramnikはFIDE王者Topalovとの「王座統一戦」を制し、唯一の王者となった

*2:

https://www.tatasteelchess.com/news/81/vladimir-kramnik-announces-end-of-chess-career.html

*3:2005年Linares大会。Kasparovは優勝後の記者会見で引退を表明した

*4:https://sochisirius.ru/ 公式サイト

*5:Kramnikの前の世界王者、KarpovとKasparovもBotvinnikのチェス学校出身

*6:技術書の意味か

*7:

https://timesofindia.indiatimes.com/sports/chess/too-early-for-kramnik-to-retire-anand/articleshow/67745608.cms