2018年チェス世界選手権タイトルマッチ Carlsen - Caruana 開幕

  世界最強のチェスプレーヤーを決める戦い、チェス世界選手権タイトルマッチが開幕します。

概要

大会名 FIDE World Chess Championship 2018
開催地 イギリス・ロンドン
賞金 賞金総額最低100万ユーロ、勝者60%敗者40%で分割
方式 1対1の12ラウンドマッチ、6.5ポイント先取、同点の場合早指しによるタイブレーク*1

参加者リスト

名前 所属連盟 FIDEレート 備考
Magnus Carlen ノルウェー 2835 現世界王者
Fabiano Caruana アメリ 2832 挑戦者

公式サイト

FIDE World Chess

注目点

1.2010年代チェス界の王者Carlsen

  今回のタイトルマッチで王者として挑戦者を迎え撃つのはMagnus Carlsen。絶対的な強さを誇り、2010年代のチェス界に君臨してきました。2010年、Carlsenは19歳で初めて世界ランク1位となります。しばらくはベテランのTopalov、Anandとランク1位を争う状態が続きましたが、2011年にランキング1位へ再浮上した後は現在に至るまで7年間一度も世界1位の座を譲っていません。
  2013年、Carlsenは初の世界選手権タイトルマッチに挑み、Anandを倒して「世界王者」のタイトルを手に入れました。以来、2014年のAnandとの再戦、2016年のKarjakinとのマッチにも勝利し、タイトルを防衛し続けています。

2.Carlsenのプレースタイル

  Carlsenも過去の世界チャンピオンと同様、「天才少年」として10代前半から名を馳せてきました。「天才少年」時代のCarlsenは、目の覚めるようなコンビネーションを繰り出して相手を切り倒す、華やかなスタイルでした。いわゆる「タクティカル・プレーヤー」というやつです。
  一方、現在のCarlsenはどちらかというと、陣形の優位を少しずつ拡大して決定的な差を築き上げる「ポジショナル・プレーヤー」として知られています。特に駒が減ってきた中盤戦の後半から終盤のスキルに優れていると言われ、一見何も手掛かりのなさそうなところから争点を作り出し、僅かな緩手を捉えて大差にしてしまいます。好調時のCarlsenは長いゲームを厭わず、勝利を追い求めて攻め続けます。
  Carlsenは特定の「得意定跡」を持たず、オールラウンドに様々な定跡を使いこなします。「深い序盤研究を刺して勝つ」というようなことはあまりなく、力戦で力を発揮するタイプです。

3.王者の不調?

  2011年から世界ランク1位の座を譲っていないCarlsenでしたが、ここ2年のパフォーマンスは「低調」と言われています。2016年はKarjakinとのタイトルマッチを制したものの、タイブレークまでもつれた内容は高く評価されませんでした。元FIDE世界王者GM PonomariovはChessBaseに寄せたコメントの中で「Carlsenは進歩を止めてしまった」「彼には尻を蹴り上げるライバルが必要」と語っています。*2
  2017年、年頭の恒例イベントTata SteelでCarlsenはメイトin3を見落とすミスをしてしまいます。また、母国ノルウェーで開かれたスーパートーナメント、Norway Chessでは2敗を喫し10人中9位に終わりました。現役王者としての参加が注目を集めたFIDE World Cupでは格下とみられたBu Xiangzhiに敗れ、まさかの三回戦敗退。
www.youtube.com
  チェス選手の戦績を測る指標として「パフォーマンス・レーティング」というものがあるのですが、2017年のCarlsenは、このパフォーマンス・レーテイングで世界ランク1位を取る前の2009年と同じ水準にとどまりました。


  ……とはいえ、この間にもChess.com Isle of Manで優勝するわ世界ブリッツで優勝するわGrand Chess Tourでツアー優勝するわで他のトップGMたちと比較すると凄まじい戦績を残しているのがCarlsenという男です。そもそも、パフォーマンス・レーティングが2800を超えていて不調扱いされる時点で何かがおかしいのです……。批判は、Carlsenに期待しているものの大きさ故なのでしょうね。

4.過去最も「打倒Carlsen」に近い挑戦者Caruana

  そのCarlsenに挑むのが、今年3月の挑戦者決定大会、Candidatesで優勝したFabiano Caruana。CaruanaについてはCadidatersが終わった際に紹介記事を書いたので、手前味噌ですがこちらをどうぞ。
dame-chess.hatenablog.com
  Caruanaは26歳で、27歳のCarlsenにとっては初めて迎える「年下の挑戦者」となります。
  また、2018年のCaruanaは「クラシカル」と呼ばれる長時間のゲームだけで75ゲームをこなしています。年明け早々のTata Steel Chessこそ4敗を喫しましたが、ベルリンCandidatesでCarlsenへの挑戦権を手に入れてからは好調な一年を過ごしています。タイトルマッチ直前、11月発表のレーティングでは世界ランクを2位まで上げCarlsenとのレーティング差は「3」という僅差に迫りました。実は世界ランク1位と2位の間で世界王者を決めるタイトルマッチが行われるのは1990年のKasparov対Karpov以来のこと。
  若く、勢いのある挑戦者がCarlsenに挑むのです。

5.Carlsen VS Caruana過去の対戦成績

  さて、CarlsenとCaruanaはこれまでにも多数の対戦を経験しています。これまでの通算成績はCarlsenの10勝5敗18分Carlsenが5つリードしています。では、2017年以降はどうでしょうか?

年月 大会名 Carlsenの色と勝敗 オープニング(ECO)
2017年4月 GRENKE 白・引き分け C01
2017年6月 Norway Chess 黒・引き分け C84
2017年8月 Siquefield Cup 黒・引き分け C78
2017年9月 Isle of Man 黒・勝ち C78
2017年12月 London Classic 白・引き分け D27
2018年1月 Tata Steel 白・引き分け C42
2018年3月 GRENKE 黒・引き分け E60
2018年5月 Norway Chess 白・勝ち C24
2018年8月 Siquefield Cup 白・引き分け A00

*3
  というわけで、2017年以降はCarlsenの2勝0敗7分となっています。
  CaruanaがクラシカルでCarlsenに勝ったのは、2015年6月のNorway Chessが最後です。

6.セコンド

  トップクラスのGMは、研究パートナーやトレーニングゲームの対戦相手としてマスターを雇います。このようなマスターのことを「セコンド」と呼びます。
  Caruanaには常任のセコンドRustam Kasimdzhanov、Carlsenには常任のセコンドPeter Heine Nielsenがついていますが、世界選手権のような重要な試合に臨む場合は臨時セコンドを雇ってチームを組むのが一般的です。Carlsen陣営からはこんな映像が公開されています。


  前回タイトルマッチでは、マッチの終了後にフランス王者のVachier- Lagraveを雇っていたことが明かされ、チェス界の話題となりました。今回のマッチでは誰が「秘密のセコンド」を務めているのでしょうか。

7.オープニング・プレパレーション(事前研究)

  中盤以降のスキルを高く評価されているCarlsenにとって、唯一といってもいい弱点は序盤研究だと言われています。上述したように、Carlsenは高度で深い研究手順を指すことよりも力戦を好む、「盤の前で考える」タイプのプレーヤーです。
  一方、Caruana陣営は序盤研究の深さに定評があります。2016年のLondon Chess Classicではコンピュータでも容易には見つけられない研究手順を披露して鮮やかな勝利を収めました。
en.chessbase.com
こう書くと序盤ではCaruanaが優位に立てそうに思えてきますが、さにあらず。Carlsenどのような定跡・ゲーム展開でも概ねトップレベルで指しこなせてしまうため、対戦相手は非常に的が絞りづらいのです。Carlsenは「ポジショナル・プレーヤー」と言われていますが、今年のBielではSvidler相手にシシリアン・ナイドルフで激しいタクティカル・プレーを見せました。また、Carlsenトップレベルで採用されなくなっている定跡を敢えて採用して、なおかつ勝ってしまうことがあります。同じく今年のBielでは指折りの攻撃的プレーヤーVachier- Lagrave相手に黒でピルツを指し、長く難解なエンドゲームを戦い抜いて勝利を手にしています。
  何をやってくるかわからないCarlsen陣営に対し、深い序盤研究を突き刺そうとするCaruana陣営という対比になりそうです。

8.早指しの強さ

  「クラシカル」の12ゲームで決着が付かない場合は、早指しのタイブレークになります。国際チェス連盟では、Rapid=早指し、Blitz=超早指しのレーティングも発表していますが、この両方で1位なのがCarlsenです。Carlsenは早指しが苦手ではない、それどころかむしろ得意領域、世界最強といってよいレベルなのです。昨年、Chess.comが開いたネット大会の決勝では、早指しに強いことで知られるGM Hikaru Nakamuraを下して優勝しています。
  一方のCaruana。Rapidで世界10位、Blitzで世界18位と早指しでも世界トップクラスのプレーヤーではあるのですが、早指し世界最強のCarlsenに対しては厳しい戦いを強いられそうです。Caruanaとしては、タイブレークに入ってしまう前に決着をつけたいところです。

9.勝利へのシナリオ

  タイブレークを避けたいCaruana陣営がどの段階でリスクを取って勝ちに行くか、というのが注目点になってくるように思います。普段CarlsenやCaruanaが戦っている総当たり方式の大会では、「Carlsenとの対戦は引き分けでしのげばよい」というスタンスを取れるのですが、一対一のマッチで勝ち越したいならそうはいきません。一方のCarlsenは、「勝ち越せなくともタイブレークまで持ち込んでしまえばこちらのものだ」と割り切ることができます。
  一度Carlsenが勝ち越してしまえば、Caruanaはその段階から常に勝ちを目指して戦うことを強いられます。リードを維持すべく、堅実にプレーするCarlsenを相手に争点を作り出し、なおかつ勝利を収めるのは容易なことではありません。
  Caruana側はできれば早い段階で研究手を生かして勝ち越しを作り、リードを守る体制に切り替えたいところです。
  また、2016年、2017年の「不振」によりモチベーションの低下が指摘されてきたCarlsenがマッチの序盤でどんな戦いぶりを見せるかも注目です。あっさり引き分けにしてしまうのでしょうか、それとも長手数にわたってプッシュし続ける「良い時のCarlsen」が見られるのでしょうか。ノルウェータブロイド紙の取材を受けたCarlsenは、今年のSinquefield Cupで2つの長手数のゲームを勝ったことについて「良い兆候」だと語っています。
en.chessbase.com

10.観戦

主催のWorld Chessは20米ドルの有料で現地映像+独自解説を提供しています。
FIDE World Chess

World Chessは他の媒体に対して棋譜中継の30分ディレイを命じ、同時中継したい場合は主催者の用意する公式ウィジェットを使うよう通知しています……が、どこの中継サイトも配信者も通知を無視して勝手に独自中継&解説会をやっています。
Chess.comの特設サイトで見るなり……
www.chess.com
Chess24の特設サイトで見るなり……
chess24.com
Chessbomb民のコメントつきで棋譜中継を見るなり……
www.chessbomb.com
お好みに合わせて楽しめばよいと思います。

対局開始後にTwitchで「Chess」と入れれば世界選手権解説会が色々出てくるので、そこから選んでもいいんじゃないですかねー。
なお、対局開始時刻は日本時間午前0時、と日本勢にとって大変厳しい時間の開催ですが、頑張っていきましょう……。

*1:25分+一手10秒のラピッドを4ゲーム、ラピッドで決着しない場合5分+一手3秒のブリッツを2ゲーム、ブリッツでも決着しない場合白4分、黒5分+60手目以降一手3秒のアルマゲドン方式=引き分けの場合黒を黒を勝者とする

*2:https://en.chessbase.com/post/newsblog-wcc-carlsen-karjakin-2016-12-01-en

*3:チェスの序盤定跡にはアルファベットと数字からなる「ECOコード」が割り振られている。定跡の呼称が異なっても、同じ手順ならばECOコードは共通なので、定跡データベースで同じ定跡のゲームを調べたい時にECOコードで検索すると便利。