チェスから距離を置いた後、再びチェスに戻ってきたグランドマスター GM Gata Kamskyの場合

  1996年、世界選手権タイトルマッチの直後。敗れたGM Gata Kamskyが競技チェスから引退する旨の発表が行われました。進学し、医師を目指すというのです。当時22歳、世界ランク6位*1だった若き一流GMの引退はチェス界に衝撃を与えました。

 

1.カルムイクから来た少年

  1989年、ソビエト連邦カルムイク共和国出身のKamsky父子はアメリカへ渡ります。幼少期から父親の監督のもと、チェスの英才教育を受けていたGata Kamsky少年は、当時すでに有力なジュニアプレーヤーでした。

  Kamsky家は実業家James Cayne氏から金銭的な支援を受けてブルックリンに住み、Gataは学校に通うことなくチェスのトレーニングに没頭します。Gataの父Rustam氏曰く、Gataは13歳までにソ連で高校程度の教育を終えていたため、学校に通う必要はなかったのだそうです。*2

  渡米した頃のKamskyの様子は、New York Times Magazineに掲載された記事「A Farther's Pawn」に詳しく記されています。

www.nytimes.com  取材したのは「ボビー・フィッシャーを探して」の著者、Fred Waitzkin氏。ここでのGataは、粗暴な父に支配され、他の物事に一切目をくれずチェスに取り組む気弱な少年として描き出されています。父であるRustam氏から虐待を受けていたという噂にも言及があります。

 

2.1996年7月、FIDE世界選手権タイトルマッチへ

  父とパトロンの期待を背負ったGataは、一流のチェスプレーヤーに成長していきます。1990年、Kamskyはグランドマスターの称号を獲得、翌91年には初めて全米選手権で優勝します。世界ランクも上昇し、1990年1月期に初のトップ10入りを果たしました。

  こうなると、Bobby Fischer以来となる世界選手権タイトルマッチへの挑戦も視野に入ってきます。

  Kamskyがトッププレーヤーに成長した90年代前半は、ちょうどチェスの世界王者が二つに分裂した時代でした。93年のKasparov - Shortのタイトルマッチで発生したトラブルをきっかけに、国際チェス連盟(FIDE)とKasparov率いるプロチェス協会(PCA)がそれぞれ独立して世界選手権を冠したタイトルマッチを開催する状態となったのです。

  KamskyはFIDE、PCA双方のトーナメントを戦い、FIDEの世界選手権でAnatoly Karpovとのタイトルマッチに進むこととなります。

 

3.俺、プロチェス選手やめて医者になるよ

   1996年、20ゲームマッチで行われたKarpov対Kamskyのタイトルマッチ。Kamskyは3勝6敗8分で敗れ、直後にチェスからの引退を発表します。

  Kamskyはメディカル・スクールに進学する前段階として、ニューヨーク市立大学ブルックリン校に進学、99年に卒業します。*3

  99年には、FIDEが主催した勝ち抜き戦方式の「世界選手権」に参加してチェス選手として「現役復帰」しましたが、復帰はこの一度きり。予定通り、Kamskyはメディカル・スクールに進学、医師を目指す……はずでした。

 

4.俺、医者になるのやめて法律家になるよ

  Kamskyは1年でメディカル・スクールをやめ、法律家を目指してロー・スクールに進学します。Kamskyが進学したのはロングアイランドにあるTouro Law Centerという学校でした。

  2004年、Kamskyはロー・スクールを卒業して司法試験に臨みましたが、試験には失敗してしまいます。*4

  試験に落ちたKamskyが向かった先は、チェスクラブでした。

 

5.俺、法律家を目指すのやめてプロチェス選手に戻るよ

  2004年、Gata Kamskyはマーシャル・チェスクラブ*5で開かれたニューヨーク・マスターズに参加。4ラウンドを戦って2勝2分、3ポイントで獲得した賞金は160ドルでした。*6

  Kamskyはこの一戦を皮切りにチェス大会に出始め、2005年4月にFIDE公式のレーティングリストに復帰します。この時のKamskyのレーティングは2700、世界ランク第19位でした。*7

  Kamskyは数年後、New York Times紙の取材に対し、本格復帰した理由を語っています。

“There were many factors” in his decision, but the biggest one was time. “Chess I can play competitively until I am 40,” Mr. Kamsky said. “Law you can practice until you are past 65.”*8

  法律家は65歳を過ぎてからでもやれるけれど、チェスで競争力を持って戦えるのは40歳まで、と時間の制約を復帰の理由に挙げたKamsky。復帰時点で30歳を過ぎていたKamskyは、再び世界の頂点を目指します。

 

6.世界王者を目指して

  Kamskyは、2007年に世界選手権の参加者を決める大会へ出場。フランスのBacrotに勝って一回戦を突破したものの、次のラウンドでGelfandに敗れ、世界選手権出場は

なりませんでした。*9

  その後、Kamskyは同じ2007年に開かれたChess World Cupで優勝。元FIDE世界王者であるブルガリアのVeselin Topalovと世界選手権タイトルマッチへ出場をかけた挑戦者決定マッチを戦うこととなりました。*10

  2009年、Topalovの地元、ブルガリアのソフィアで開催された8ゲームマッチはゲーム7でTopalovが勝ち越しを決め、Kamskyが挑戦者となることはありませんでした。

  敗れたKamskyでしたが、落ち込んだ様子は見せなかったそうです。全米チェス協会のサイトより、マッチの後のKamskyのコメントです。

"It was an exciting match. I was actually trying my best and I think I showed a lot of my best chess. [Topalov] also showed, of course, fantastic chess. He was able to come up with moves that kept surprising me, and of course they are also strong moves."*11

 自分のベストのチェスを見せたと思うと語り、勝者Topalovのプレーを称えています。

 

7.40歳を過ぎても

  Topalovとのマッチに負けた2年後、インタビューで「What are your sporting ambitions?」と問われたKamskyは、こう語っています。

Of course, the main goal is to win the World Championship title. I told myself I’d fight for that title until I’m 40. If it doesn’t work out then it doesn’t matter. In general, I’m going to quit chess when I’m 40, so the next cycle will be my last.*12

 この時は「40歳でチェスをやめる」と語っていたKamsky。しかし、Kamskyは40歳を過ぎてもプレーヤーとして戦い続ける道を選んだようです。

この写真は、2015年に「Millionaire Chess」という大会に参加した時のものです。  

今では世界トップレベルのプレーヤーが集ういわゆる「スーパー・トーナメント」に招待されることこそなくなりましたが、クラブチームの大会やオープン大会に参加して各地を飛び回っています。

 

  現在、Kamskyの世界ランクは76位。Kamsky以上の年齢で世界トップ100に踏みとどまっているマスターも10人を下回っていますが、Kamskyがひと月でも長く、高いレベルで戦い続けてくれることを願っています。

*1:http://www.olimpbase.org/Elo/Elo199607e.html

*2:https://www.nytimes.com/1990/05/13/magazine/a-father-s-pawn.html

*3:http://www.brooklyn.cuny.edu/web/new_publications/070901_BCMagazine_Fall07.pdf

*4:なんでも、娘さんが生まれてしっかりした勉強が出来なかったんだとか。https://www.nytimes.com/2008/01/27/crosswords/chess/27kamsky.html

*5:元全米王者、Frank Marshallの名を冠したチェスクラブ。1915年の開設から100年以上経った現在も運営が続いている

*6:http://www.newyorkmasters.com/xtables/xtable106.html

*7:https://ratings.fide.com/toparc.phtml?cod=77

*8:https://www.nytimes.com/2008/01/27/crosswords/chess/27kamsky.html

*9:この時期は分裂した王座の統一期にあたり、王者決定方式が複雑に変動している。2007年の世界選手権は現王者と挑戦者が戦うタイトルマッチではなく、8人による2回戦総当たり方式だった

*10:この挑戦者決定マッチの勝者は、2008年に実施されたAnand - Kramnikの勝者と戦うことが決まっていた。詳しくはChessbaseの記事を参照のこと。https://en.chessbase.com/post/veselin-topalov-and-the-new-fide-world-championship-cycle

*11:http://www.uschess.org/content/view/9171/517/

*12:http://www.chessintranslation.com/2011/05/gata-kamsky-i-can%E2%80%99t-play-like-grischuk-and-kramnik/