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チェスとイランとイスラエル

  2月20日、イラン・チェス連盟はイスラエル籍の選手と対戦したことを理由に、同国のチェス選手ボルナ・デラフシャニ*1に対して国内大会への参加禁止、及びナショナル・チームからの除外という処分を下しました。

en.chessbase.com

*2

  「チェスに国境はない」と言いたくても、チェスの世界も現実政治からは逃れ得ないのです。

 

1.イラン政府の方針とイスラエル・ボイコット

  さて、日本の外務省公式ウェブサイトでイラン・イスラーム共和国のイスラエルに対する外交姿勢を確認してみましょう。

イラン基礎データ | 外務省

イランはイスラエルを承認していない。イランは,中東和平問題につき,全てのパレスチナ難民が帰還した上で,全ての当事者による国民投票(レファレンダム)を実施し,彼らが自らの運命を決めるべきとの立場。

  イラン国営放送のウェブサイトにはこのような記事も掲載されています。

parstoday.com

  記事中で「シオニスト政権」と呼ばれているのはイスラエル国家のことです。このように、イラン政府はパレスチナ地域におけるイスラエルの存在を否認する方針を示しています。この方針は1979年のイラン・イスラーム革命以来変わっていません。*3

  イラン政府はイスラエル国家を敵視・非難する広報活動を活発に行っており、この動きに沿う形で(あるいは、政府自体の政策、プロパガンダとして)イスラエルとの経済的・文化的繋がりを拒絶するボイコット運動が行われてきました。

www.afpbb.com

イランの保守派は、清涼飲料のコカコーラ(Coca-Cola)やペプシPepsi)、衣類のカルバン クライン(Calvin Klein)、ネスレNestle)食品などの「シオニスト製品」のボイコットを訴え続けている。

 

  スポーツの世界でもリストが作られる程度に数多くのポイコットが行われています。2004年のアテネ五輪では柔道男子66キロ級の金メダル候補だったアラシュ・ミレスマイリ選手がイスラエル選手との対戦を拒否しています。

OLYMPICS: NOTEBOOK; Iranian Judo Champion Refuses to Face Israeli(ニューヨーク・タイムズ紙ウェブサイト、AP)

 

2.チェスとイランのイスラエル・ボイコット

  2011年、チェスの世界でもイラン・チェス界の第一人者GMエーサン・ガエム・マガミがボイコットを行って話題になりました。チェス・ジャーナリストであるピーター・ドガーズ氏のブログで詳しく報じられています。

Iranian GM refuses to play Israeli opponent, gets excluded from Corsican Circuit | ChessVibes

  GMマガミはフランスのコルシカ島で開かれていた大会でイスラエルのFMとの対戦を拒否。大会の運営にあたっていたトーナメント・ディレクターはGMマガミを大会から除外しました。ブログ記事内にはGMマガミのコメントも掲載されています。*4

 

  GMマガミは2016年にスイスのバーゼルで開かれた大会でもイスラエル選手との対戦を拒否しています。

イランのチェス選手がイスラエル選手の対戦を拒否

  この時は当該のゲームが不戦敗となったのみで、大会からの追放、除外という措置は取られませんでした。

 

3.イランのイスラエル・ボイコットについて、議論される可能性のあるポイント

3-1.対局拒否の政治性をどう認定するか

  体調不良など政治に関わりのない、やむを得ない事情で欠場を余儀なくされることもあります。「イラン人がイスラエル人との対戦を拒否した」という事実だけで「政治的ボイコット」と即断することはできません。*5

 

3-2.政治的主張に基づく対局拒否に対してどのような措置を取るべきか

  ボイコットが政治的なものであったとして、そのボイコット行為を行った選手をどう扱うかが問題となります。コルシカとバーゼルGMマガミの処分が分かれたように、チェス界全体として政治的対局ボイコットへの対処について合意が形成されているわけではないようです。

  FIDEの公式サイトでレギュレーション関係を当たってみたのですが、五輪憲章のようにはっきりと政治的アピールを禁じた文言は見当たりませんでした。

 

3-3.イスラエル籍選手と対戦したイラン人選手に対するイラン連盟の措置

  イスラエル人と対戦したイラン籍選手が実際に処分されたことで、イラン人チェス選手は今までより一層イスラエル人選手との対戦を行いづらくなったと思われます。

  イラン人の選手に対して政治的な「踏み絵」を迫るイラン連盟の行動は国レベルの競技団体として問題があるのではないか、という問いは十分に可能でしょう。

 

4.Gens una sumus

 国際チェス連盟(FIDE)は1924年の創設以来、モットーとして

Gens una sumus

というラテン語の言葉を掲げています。逐語的に英訳すると「We are one people」、よりこなれた訳では「We are one family」となるそうです。チェスをする人々は皆一つの家族、仲間だというような意味合いですね。

 

  チェス界のニュースをチェックしていると、残念ながらこのモットーが貫徹されているとは言い難い現実を沢山目にします。イランとイスラエルの問題もそうでしょう。

  チェス盤の前でだけは一つの仲間同士でいよう、というのは果たせぬ理想で、きれいごとなのでしょう。しかし、イランには有望な若手プレーヤーもいる*6ことですし、国際政治レベル軋轢がチェス選手個人に与える影響が小さくなることを祈るばかりです。

*1:ペルシャ語の読みがわからないのでアルファベットから適当に推測

*2:写真は国外の試合でヒジャーブを着用しなかったこととにより処分を受けたボルナの姉、ドルサ・デラフシャニです。

*3:尤も、イランは原則通りイスラエル国家を完全に否定する形でのパレスチナ問題決着が不可能に近いという点も認識しているようです。日本国際問題研究所の報告書(PDFファイル)参照。

*4:ブログでは1939年のチェス・オリンピアードでドイツ代表との対戦拒否が多発した事例や、2010年のオリンピアードでイエメン代表がイスラエル代表との対戦を拒否した事例に触れています。

*5:上で言及したアテネ五輪の柔道ではミレスマイリ選手が「わざと計量に失敗する」という手法を用いて対戦を拒否しました。国際柔道連盟はミレスマイリ選手個人からボイコットを行う旨の声明が発せられていないことも踏まえ、単に「体重制限オーバーによる失格」扱いとし、政治的なボイコットを理由として追加の処分を行うことはしませんでした。

*6:U-18世界ランク10位のパルハム・マグスードルーや、U-14世界ランク1位のアリレザ・フィロウジャ