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チェスとイランとイスラエル

  2月20日、イラン・チェス連盟はイスラエル籍の選手と対戦したことを理由に、同国のチェス選手ボルナ・デラフシャニ*1に対して国内大会への参加禁止、及びナショナル・チームからの除外という処分を下しました。

en.chessbase.com

*2

  「チェスに国境はない」と言いたくても、チェスの世界も現実政治からは逃れ得ないのです。

 

1.イラン政府の方針とイスラエル・ボイコット

  さて、日本の外務省公式ウェブサイトでイラン・イスラーム共和国のイスラエルに対する外交姿勢を確認してみましょう。

イラン基礎データ | 外務省

イランはイスラエルを承認していない。イランは,中東和平問題につき,全てのパレスチナ難民が帰還した上で,全ての当事者による国民投票(レファレンダム)を実施し,彼らが自らの運命を決めるべきとの立場。

  イラン国営放送のウェブサイトにはこのような記事も掲載されています。

parstoday.com

  記事中で「シオニスト政権」と呼ばれているのはイスラエル国家のことです。このように、イラン政府はパレスチナ地域におけるイスラエルの存在を否認する方針を示しています。この方針は1979年のイラン・イスラーム革命以来変わっていません。*3

  イラン政府はイスラエル国家を敵視・非難する広報活動を活発に行っており、この動きに沿う形で(あるいは、政府自体の政策、プロパガンダとして)イスラエルとの経済的・文化的繋がりを拒絶するボイコット運動が行われてきました。

www.afpbb.com

イランの保守派は、清涼飲料のコカコーラ(Coca-Cola)やペプシPepsi)、衣類のカルバン クライン(Calvin Klein)、ネスレNestle)食品などの「シオニスト製品」のボイコットを訴え続けている。

 

  スポーツの世界でもリストが作られる程度に数多くのポイコットが行われています。2004年のアテネ五輪では柔道男子66キロ級の金メダル候補だったアラシュ・ミレスマイリ選手がイスラエル選手との対戦を拒否しています。

OLYMPICS: NOTEBOOK; Iranian Judo Champion Refuses to Face Israeli(ニューヨーク・タイムズ紙ウェブサイト、AP)

 

2.チェスとイランのイスラエル・ボイコット

  2011年、チェスの世界でもイラン・チェス界の第一人者GMエーサン・ガエム・マガミがボイコットを行って話題になりました。チェス・ジャーナリストであるピーター・ドガーズ氏のブログで詳しく報じられています。

Iranian GM refuses to play Israeli opponent, gets excluded from Corsican Circuit | ChessVibes

  GMマガミはフランスのコルシカ島で開かれていた大会でイスラエルのFMとの対戦を拒否。大会の運営にあたっていたトーナメント・ディレクターはGMマガミを大会から除外しました。ブログ記事内にはGMマガミのコメントも掲載されています。*4

 

  GMマガミは2016年にスイスのバーゼルで開かれた大会でもイスラエル選手との対戦を拒否しています。

イランのチェス選手がイスラエル選手の対戦を拒否

  この時は当該のゲームが不戦敗となったのみで、大会からの追放、除外という措置は取られませんでした。

 

3.イランのイスラエル・ボイコットについて、議論される可能性のあるポイント

3-1.対局拒否の政治性をどう認定するか

  体調不良など政治に関わりのない、やむを得ない事情で欠場を余儀なくされることもあります。「イラン人がイスラエル人との対戦を拒否した」という事実だけで「政治的ボイコット」と即断することはできません。*5

 

3-2.政治的主張に基づく対局拒否に対してどのような措置を取るべきか

  ボイコットが政治的なものであったとして、そのボイコット行為を行った選手をどう扱うかが問題となります。コルシカとバーゼルGMマガミの処分が分かれたように、チェス界全体として政治的対局ボイコットへの対処について合意が形成されているわけではないようです。

  FIDEの公式サイトでレギュレーション関係を当たってみたのですが、五輪憲章のようにはっきりと政治的アピールを禁じた文言は見当たりませんでした。

 

3-3.イスラエル籍選手と対戦したイラン人選手に対するイラン連盟の措置

  イスラエル人と対戦したイラン籍選手が実際に処分されたことで、イラン人チェス選手は今までより一層イスラエル人選手との対戦を行いづらくなったと思われます。

  イラン人の選手に対して政治的な「踏み絵」を迫るイラン連盟の行動は国レベルの競技団体として問題があるのではないか、という問いは十分に可能でしょう。

 

4.Gens una sumus

 国際チェス連盟(FIDE)は1924年の創設以来、モットーとして

Gens una sumus

というラテン語の言葉を掲げています。逐語的に英訳すると「We are one people」、よりこなれた訳では「We are one family」となるそうです。チェスをする人々は皆一つの家族、仲間だというような意味合いですね。

 

  チェス界のニュースをチェックしていると、残念ながらこのモットーが貫徹されているとは言い難い現実を沢山目にします。イランとイスラエルの問題もそうでしょう。

  チェス盤の前でだけは一つの仲間同士でいよう、というのは果たせぬ理想で、きれいごとなのでしょう。しかし、イランには有望な若手プレーヤーもいる*6ことですし、国際政治レベル軋轢がチェス選手個人に与える影響が小さくなることを祈るばかりです。

*1:ペルシャ語の読みがわからないのでアルファベットから適当に推測

*2:写真は国外の試合でヒジャーブを着用しなかったこととにより処分を受けたボルナの姉、ドルサ・デラフシャニです。

*3:尤も、イランは原則通りイスラエル国家を完全に否定する形でのパレスチナ問題決着が不可能に近いという点も認識しているようです。日本国際問題研究所の報告書(PDFファイル)参照。

*4:ブログでは1939年のチェス・オリンピアードでドイツ代表との対戦拒否が多発した事例や、2010年のオリンピアードでイエメン代表がイスラエル代表との対戦を拒否した事例に触れています。

*5:上で言及したアテネ五輪の柔道ではミレスマイリ選手が「わざと計量に失敗する」という手法を用いて対戦を拒否しました。国際柔道連盟はミレスマイリ選手個人からボイコットを行う旨の声明が発せられていないことも踏まえ、単に「体重制限オーバーによる失格」扱いとし、政治的なボイコットを理由として追加の処分を行うことはしませんでした。

*6:U-18世界ランク10位のパルハム・マグスードルーや、U-14世界ランク1位のアリレザ・フィロウジャ

凡人チェス・プレーヤーにとってのチェスAI/ソフト/コンピューター

  近年、将棋や囲碁などゲームをプレーする人工知能が大きな進歩を見せ、大きな注目を集めています。様々な完全情報ゲームにおいて、人工知能は人間のトッププレーヤーを上回る能力を示すようになりました。

  チェスにおいては1997年にIBM社の制作した「ディープ・ブルー」が当時世界最強のチェス・プレーヤーであったガルリ・カスパロフと6番勝負を戦い、2勝1敗3分で勝利しています。この1997年の6番勝負は一般的に「チェス競技で機械が人間を超えた瞬間」とされており、今年でその時から20年を迎えます。

  ある意味において、現代のチェスは「技術的特異点通過から20年後の世界」にいます。そこが一介のカジュアル・プレーヤーであり、ファンである自分にとってどんな場所なのか、書いていこうと思います。

 

1.現代のチェス・ソフトの強さ

  現代のチェス・ソフトは非常に強力です。現在、世界トップの座を争っているソフトの「ストックフィッシュ」と「コモド」は人間のグランドマスターとの間でハンデキャップをつけた番勝負を実施しています。チェス・ドットコムではハンデキャップマッチの戦績がまとめられています。fポーン落ちや持ち時間の制限、数手指した状態からの開始などハンデがありながら人間のプレーヤーに負けたのは1ゲームだけ、番勝負でも引き分けが二度あるだけです。

 

  また、ソフトの強さを計測して公開しているレーティング・リスト*1において、現代最強のソフトたちは過去のソフトを遥かに上回る数値を叩き出しています。世界トップクラスのグランドマスターたちが戦ってなんとか勝負になっていた2000年代中盤の主流ソフト*2レーティング・リストどの程度の位置にいるのか見れば現代のソフトがその当時から長足の進歩を遂げていることは明らかです。

  おそらく、最強の無料ソフトであるストックフィッシュの最新版であれば、私の使っている大してスペックの高くないデスクトップPC*3で動かしても人間界最強のプレーヤーたちと互角以上に戦えるはずです。

 

2.ネット対局の世界

  私が主にインターネットサイトを通じて対戦サイト上でチェスをしており、OTB*4 にはたまに参加する程度です。正式なレーティングを持つトーナメント・プレーヤーではありません。趣味として楽しくチェスができればそれで十分、というスタンスです。

  あるゲームで人工知能が人間のトップを上回ると、そのゲームへの関心が減少し、プレーヤーが減るとの観測もありますが、オンラインのチェスではどうでしょうか。

 

2-1.プレーヤーは山ほどいる

  私のレベル*5ならばウェブ上でチェスの対戦相手を見つけることには不自由しません。私が主に使っている対戦サイト、チェス・ドットコムでは対戦場に常時1万人以上がログインしており、人気のある持ち時間であれば自動マッチングで対戦が組まれるまで1分もかかりません。

  レーティングが上がってくると少しずつ実力に見合った対戦相手を見つけづらくなるという話も聞きますが、FIDE*6やUSCF*7の公式タイトル保有者で公式レーティング2000を上回るプレーヤーも日常的にインターネットの対戦サイトを利用しているので、2000未満のプレーヤーが対戦相手に困ることはまずないと思います。

 

2-2.ソフト指し

  何せ、ほぼ全ての人間をなぎ倒すソフトが無料で手に入る時代です。ソフトのいう通りに指せば、あらゆる人間に勝てます。ソフト指しは大きな問題とされており、各対戦サイトはそれぞれソフト指し対策を行っていますが、全地球からアクセスするプレーヤーの行動すべてを監視できない以上、完全にソフト指しを排除できているのかどうか、確認することはできません。

  かといって、ソフトを使わない人間同士の対局は成立しなくなる、ソフト指しへの疑念からネット対局場が過疎化する、ということもありません。先述したようにウェブ上でチェスの対戦相手を見つけるのは容易いですし、ソフト指しをしない私がごく普通に勝たせてもらえます。

  画面の向こうにいる人間が全くソフト指しをしていないのかを自分で把握することはできません。しかし、少なくともソフト指しをしていない私と同レベルの指し手しか返してこない相手が多数いることは間違いないのです。趣味としてチェスを楽しむ分には問題はなく、私個人として現状に不満はありません。

 

3.ソフト先生

  私は強すぎるソフトたちを専ら解析ツールとして利用します。「ストックフィッシュ先生」や「コモド先生」が私の師匠です。

  棋譜を解析にかければ、ソフト先生は評価値を使って数字で私のミスを指摘します。「この手は成立しないのか?」と盤面を動かせば、最善の応手で成立しないことを示してくれます。24時間365日、こちらの都合に合わせて呼び出しに応じてくれます。どんなくだらないことも躊躇いなく聞けます。ありがたい個人教師です。

 

  ただし、ソフト先生にも弱点があります。ソフト先生は言葉があまり達者ではありません。ソフト先生こんな言葉しか使えません。

1.11    25. Be3 f6 26. Rad1 Qc4 27. Qxc4+ Bxc4 28. Nf5 Nxf5
1.04    25. Qf3
0.85    25. f3 Bd7 26. Be3 Nb5 27. Qd2 Nd4 28. Qf2 Qg6
0.64    25. f4 f6 26. fxe5 fxe5 27. Be3 Be8 28. Re2 Kh7

評価値の数字と、具体的なバリエーションですね。ソフト先生の言葉を解釈する作業は自分自身で行うしかありません。

  ソフト先生は減点法で指し手のミスの指摘はしっかりやってくれますが、手が広い局面でのプランの立て方や人間の脳の力で正しい手を見つける方法をアドバイスしてくれることはありません。評価値がポーン100分の1個分しか違わないバリエーションを複数並べられたり、「そんなもん、(自力で)読めるか!」という(私の目から見れば)非常に複雑なバリエーションを最善として示されたりすることはよくあります。

  この弱点こそ、今もなお人間の書いた棋書や人間のチェス指導者が必要とされる理由の一つなのでしょうね。

 

4.絶対にソフト勝てないのに、チェスをする理由

  ソフトの話をする前に、人間の話をしたほうが良いでしょう。

  世に数億人いるとも言われるチェス・プレーヤーの大多数はグランドマスターにはなれません。チェス・プレーヤーの大多数はオープニング理論の進歩、ミドルゲームでの新概念設定など「盤上の真理」の解明に貢献しません。チェス・プレーヤーの大多数はチェスで金を稼ぐこともありません。私もこの大多数の1人です。

  それでも、チェス・プレーヤーたちはチェス・プレーヤーであり続けてきました。彼らは(私は)何のためにチェスをしてきたのでしょうか?

  それはおそらく、単純にチェスというゲームを楽しむためです。

 

  いくら人工知能が強くなっても、「大多数」がチェスに向かう理由は変わらないはずです。上のほうで少々人間のトップ選手と人工知能の力関係が変わっただけです。

  これまでもこれからも、チェス・プレーヤーたちはチェスを楽しむためにチェスをするだけです!

*1:CCRLSSDFIPON

*2:ディープ・フリッツ10など

*3:CPUはCore i3です。

*4:Over the Boardの略。物理的な盤駒を使って現実世界で行うチェスのこと。

*5:チェス・ドットコムのブリッツ総合ランキングでは私より上に十数万人います。

*6:国際チェス連盟

*7:全米チェス連盟

チェスの棋譜と二次利用

  最近、囲碁のプロ棋士の方が日本棋院からの要請を受け、自分のブログで行っていたプロ棋戦の解説を自粛するという出来事があったそうです。

  囲碁、将棋の主要プロ棋戦では、新聞社が棋戦のスポンサーになる代わりに排他的な棋譜の利用権を得る「新聞棋戦」という形態が主流であり、棋譜の二次的な利用はスポンサーの棋譜利用権を侵犯する可能性があるという意味で非常にデリケートな問題になります。

  さて、チェスの世界では棋譜の扱いはどうなっているのでしょうか。

 

1.チェスの棋譜は公共の財産

  チェスの棋譜著作権が発生する「著作物」ではなく、スポーツの試合のスコアと同様に事実の記録とみなされます。チェスの棋譜は公共の財産であり、自由な二次的利用が可能です。

  ブログで紹介する、自作の解説動画を作る、創作物のワンシーン*1に利用する、全て自由です。

  ただし、解説には著作権が発生します。

 

2.溢れかえる無料コンテンツ

  棋譜の利用が自由になっていることもあり、ウェブ上にはチェスの無料コンテンツが氾濫しています。

  代表的なものが無料の棋譜データベースで、チェスゲームズやチェスDBなど無料のデータベースサイトでは連日最新の棋譜が登録されていきます。定跡、プレーヤー名を指定しての検索も可能であり、非常に便利です。

  大規模な大会、レベルの高い大会はリアルタイムの棋譜情報を提供し、複数の中継サイトや中継アプリが無料で棋譜中継サービスを提供しています。大会の公式サイトの棋譜中継も無料です。

  またブログやニュースサイト、動画サイトでの棋譜解説も盛んで「マスター」の称号を持つプレーヤーが最新のゲームの解説動画を投稿しています。ちょっとした定跡講座もあって、ネット対局で負けて対策を調べたい時に重宝します。

 

3.有料サービス

  無料コンテンツがある中でお金を取ろうと思うと、やはり無料コンテンツを上回る、お金を払ってもいいと思わせるサービスが必要になります。

  有料の棋譜データベースであるチェスベースはリアルタイムで更新される数百万局のデータベースの他、データベースを使いこなすための高機能GUIやトレーニングツールを提供して差別化を図っています。

  簡単な棋譜解説や講座は無料の動画やブログ、ニュース記事で間に合ってしまうので有料のビデオレッスンや棋書にはもっと深い内容、丁寧な解説が求められてきます。

  また、マスター達は時間あたりお幾ら、という形でプライベート・レッスンを提供しています。大勢に向けた解説や講座ではなく、一人一人に合わせたレッスンという点が価値を生み出すわけですね。

  チェス・ドットコムやチェス24といった多種のサービスを提供する複合サイトは、お金を払うとより上位のサービスが受けられる「プレミアム会員」を設定しています。具体的にはレッスン動画が見られるようになったり、トレーニングのための練習問題が無制限で利用できるようになったりします。

 

4.棋譜=無料の是非

  私自身は大量の無料サービスの恩恵を享受するファンの側にいるので、今の状況は大変嬉しいですね。よく、無料でこんなに楽しめてしまっていいのかと思います。

  ただし、チェスでお金を稼ごうという人々の立場から見ればこれほど厳しい環境もないように見えます。無料コンテンツとの果てしなき競争を続け、レベルの高いサービスを提供し続けることは並大抵の努力でできることではないでしょう。持続可能性という観点から考えると「なんでも無料」という環境を喜んでばかりはいられないかもしれませんね。

*1:例えばアニメ「GJ部」では羽生善治さんの棋譜が使用されていますが、対局者や大会の主催者から許諾を得る必要はありません。

老人VS天才児 ヴィクトル・コルチノイの最晩年

私は老いぼれたライオンでしょうがね、口の中に手を入れられたら食いちぎってやりますよ。

――初代チェス世界王者ヴィルヘルム・シュタイニッツ  

 

  12月24日、将棋の竜王戦加藤一二三九段(76歳)と藤井聡太四段(14歳)が公式戦を戦います。方や70代に入っても現役プロ棋士として指し続ける生ける伝説、方や史上最年少でプロ入りを決めた新鋭。藤井四段のプロデビュー戦ということもあり、将棋界の内外で大いに注目を集めています。

 

  チェスにおいて、大ベテラン対10代の若手という顔合わせで思いこされるのは今年亡くなったヴィクトル・コルチノイのことです。加藤九段のように、老いてなお第一線で戦い続けたコルチノイのことを紹介したいと思います。

 

1.偉大なるグランドマスター、コルチノイ

  ヴィクトル・コルチノイは1931年ソ連レニングラードの生まれ。*1長じてチェスの強豪となり、1950年代から数十年にわたって世界トップレベルで戦いました。1978年と81年の二度、世界選手権タイトルマッチに出場し当時のチャンピオンであるアナトリー・カルポフに挑戦しましたが、二度とも敗れています。*2「世界チャンピオンになれなかった最高のプレーヤーは誰か」という議論では必ず名前が挙がるといっていいでしょう。

 

2.コルチノイVS神童

  さて、チェス・プレーヤーは強制的に引退させられるということがありません。大会にエントリーし、プレーすればそれで現役続行です。カスパロフのようにスパッと身を引く選択をするマスターもいますが、コルチノイは戦える限り戦い続ける道を選びました。

  2000年代に入り、70歳を過ぎてもなお頑張るコルチノイは現代チェス界を引っ張る天才たちと対峙しました。

 

2-1.2004年スマートフィッシュ・チェスマスターズ

  当時73歳のコルチノイはノルウェーの神童マグヌス・カールセンと顔を合わせます。後に世界チャンピオンとなるカールセンは当時14歳。既にグランドマスターGM)の称号を獲得していました。

   コルチノイ1ポーン得のルーク・エンディングでカールセンの時間が切れ、コルチノイの勝利となりました。この大会のコルチノイは9ゲームで2勝2敗5分の指し分け、一方のカールセンは1勝4敗4分の負け越しながらFIDEレーティング*32700を超える一流GM、アレクセイ・シロフに勝って才能の片鱗を見せています。

 

2-2.2007年ギオルギー・マルクス記念大会

  2007年、76歳ながらレーティング2600を維持するコルチノイの前に現れたのは中国の13歳、ホウ・イーファンでした。後に女子世界チャンピオンとなるホウはこの年史上最年少で中国女子選手権を制覇。翌年、女性として史上最年少でGMの称号を獲得します。

  この大会は2回戦総当たりで行われ、コルチノイはホウに対して1勝1分の成績でした。コルチノイが勝ったゲームを紹介しておきます。

  ルーク・エンディング*4を勝ちきりました。コルチノイはルーク・エンディングの名手として知られ、ルーク・エンディング解説書も執筆しています。

  この大会のコルチノイは3勝4敗3分と負け越しでした。

 

2-3.2011年ジブラルタル

   79歳となり、2500台までレーティングを落としていたコルチノイは第2ラウンドで大会の優勝候補、当時18歳のファビアーノ・カルアナと対戦しました。2016年12月現在世界ランク2位のカルアナは当時既にFIDEレーティング2721、世界ランク25位の世界的トップ選手でした。

   79歳のコルチノイが見事な勝利を飾りました。f5-g5-g4とキング側のポーンを進める積極的な仕掛け、白に致命傷を与えたBxd3!*5の筋など並べていて楽しいゲームですね!

  この大会のコルチノイは10回戦で3勝1敗5分、150人中39位でした。

 

 3.その後のコルチノイ

  80歳の誕生日を過ぎても競技会に出続けていたコルチノイですが、健康状態の悪化により2012年9月のスイス・リーグ以降公式戦で戦うことはありませんでした。

  公の場での対局は2015年のチューリヒ・チェス・チャレンジに合わせて行われた同世代のGMヴォルフガング・ウールマンとのエキシビション・マッチが最後となります。

en.chessbase.com

  2016年6月、コルチノイは85歳でその生涯を閉じました。私はどう頑張ってもコルチノイのような強いプレーヤーにはなれませんが、 生涯にわたってチェスプレーヤーであり続けたことぐらいは真似できればいいなあと思っております。

 

  将棋のプロ棋士には引退制度があるので難しい面はありますが、加藤一二三九段も力の及ぶ限り戦い続け、勝ち星を積み上げて欲しいですね……。

*1:独ソ戦レニングラード包囲戦を生き延びています。

*2:フィッシャーの防衛マッチ放棄により、事実上のチャンピオン決定戦となった1974年の挑戦者決定マッチも含めると、都合三度世界の頂点に手をかけたことになります。

*3:チェス選手を評価する物差し。2500を超えるとGMレベルで、2700を超えると世界トップレベルです。

*4:ルークとポーン、あるいはルークのみが残った終盤戦のこと。

*5:30.Rxd3とすると30...e4でクイーンとルークの両取り。

Chess.comライブ・チェスのマナー?

  私は普段Chess.com(チェスコム)と いうサイトを利用してインターネットでチェスをしています。これからチェスコムにデビューする方向けに、チェスコムで世界の見知らぬプレーヤーと対戦する際にどう振舞えばいいのか大雑把な指針を示せれば良いかなあと思い、このエントリを書いてみました。

 

1.開始前の挨拶

  挨拶する場合でも互いに"hi"と言い合う程度でOK。私は無言でゲームに入ることのほうが多いぐらいです。

2.終了後の挨拶と感想戦

  私の経験上、感想戦は成立しないことのほうが多いです。話しかける間もなく立ち去ってしまう人が大多数で、話しかけても無視されることがしばしば。

  大抵のゲームでは無言で別れるか"gg"と挨拶をして別れることになります。"gg"は"good game"の略です。"gg"と言われたら"gg"と返答しておけば問題ないです。

 

3.チャット全般

  チェスコムには色んな国のプレーヤーがいますが、英語を使えば大体通じます。多少ブロークンでもなんとかなります。余裕があれば会話をしてみるのも一興です。*1

  時々「お前アホすぎワロタwwwwwww」などと煽ってくる人もいますし、引き分けに持ち込もうとすると「卑怯者!」と怒り出す人もいますが、あんまり酷い場合はブロック機能を使ってブロックしてしまえば対戦を組まれなくなります。

  

  ここまでチャット関係を見てきましたが、暴言が鬱陶しい場合はチャット機能を切ってしまうのも一つの手です。

4.再戦要求

  決着がついた後、対戦相手が再戦(rematch)を要求してくることがあります。これは断ってしまっても特に問題にはなりません。たまにメッセージ機能を使って「逃げやがったな!」「臆病者め!」など文句を言われることもありますが、気にする必要はありません。

  こちらから再戦を求めることもできますが、受けるか断るかはもちろん相手の自由です。

 

5.対戦中止、故意切断

  まず対戦中止(abort)について。チェスコムでは初手を指す前なら自動マッチングで対戦が組まれた後でも「abort」をクリックあるいはタップすることで対戦を中止できます。対戦そのものがなかったことになり、レート戦でもレーティングは上下しません。

  しかし、「黒で指したくない」などの理由で頻繁に対戦を中止しているとフェアプレー・ポリシー違反として報告され、対戦中止機能が利用できなくなります。

 

  不利になったプレーヤーが接続を切って戻って来ないこともよくありますが、これもフェアプレー・ポリシー違反として報告されます。

  チェスコムでは、接続が切れて一定時間が経過すると持ち時間を使い切っていなくても自動的に切断した側の負けになります。相手が接続を切って戻って来ない時は1分程度で勝ちになるので、それまで待ちましょう。

 

6.ドロー・オファー

  プレーヤーはドロー・オファー(引き分けの提案)を出す権利を持ちますが、タイミングによっては相手の技量を低く見るメッセージとみなされることもあるそうです。といっても、チェスコムのライブチェス程度なら軽い遊びですし、神経質になる必要もないかと思います。

  • 明らかな敗勢*2でのドロー・オファー
  • 相手が何度も拒否している中での執拗なドロー・オファー連打

この2種類さえ避けるようにすれば特にいざこざは起きないはずです!*3面倒なら合意によらずに引き分けになる局面まで指し切ってしまうのがいいでしょう。

 

  一方、自分が「無礼なドロー・オファー」を受ける側になった場合はどうすればいいのでしょうか?チェスコムでは提案を受けずに自分の手番で指し手を送信すれば自動的にドロー・オファーを拒否したことになりますので、無視してゲームを続けるだけでOKです。

 

7.フラッギング(時間切れ狙い)

  盤上の形勢と無関係に対戦相手を時間切れに追い込んでゲームに勝つ行為を「フラッギング」と言います。アナログ式のチェスクロックで時間切れになる際に「旗(=flag)が落ちる」ことに由来します。

  フラッギングの是非は人によって意見の分かれるところです。持ち時間が決まっている以上、時間切れを狙うのも立派な戦術だという考え方の人もいれば、ただ素早く駒を動かして時間切れだけを目的にプレーするのはチェス本来の楽しみ方とは程遠いし、礼儀をわきまえた行いとは言えないという考えの人もいます。

  私からは「各々の信条に従ってください」と言うしかないですね……。*4

 

  フラッギングによる負けを避けたい場合は、最初に与えられた持ち時間がなくなったらおしまいのいわゆる「切れ負け」方式ではなく、一手ごとに一定の持ち時間が加算される「フィッシャー・モード」方式で指すようにすればいいでしょう。一手2秒あるだけでも全然違いますよ! 

 

8.ソフト指し

  ソフトに頼るの、ダメ、ゼッタイ。

チェスソフトを使って局面を解析しながら対局する行為、「ソフト指し」は厳禁です。チェスコムの場合、ソフト指しと認定されると規約違反でアカウントを停止されます。

 

 

  本エントリを読んだ方々が楽しいインターネット・チェス生活を楽しまれますように。

*1:会話をする場合、日本人とわかると「日本のどこ住み?」と聞かれることが多いですね。マンガ、アニメの話も振られたことがあります。

*2:相手がキングとクイーンを持っていて自分がキングのみの場合など

*3:実のところここはちょっと自信がない……

*4:私はどちらかというと時間切れに追い込まれることのほうが多いのですが、フラッギング肯定派です。

2016年チェス世界選手権開催中!

  世界選手権が始まる前にアップロードしたかったのですが、もう3分の1終わっちゃってますね……。非チェス勢の方々向けに、少し世界選手権の紹介をしてみようかと思います。

 

1.「世界選手権」とは?

  国際チェス連盟(FIDE)が公認する「チェス世界チャンピオン」の称号をかけて現役世界チャンピオンであるマグヌス・カールセンと候補者大会(Candidates Tournament)を勝ち抜いた挑戦者のセルゲイ・カリャーキンが12ゲームの番勝負を行います。1ゲームあたり、勝利に1ポイント、引き分けに0.5ポイント、敗北に0ポイントが与えられ、先に6.5ポイントを獲得して勝ち越しを決めた側がタイトルマッチの勝者となります。12ゲームを終えて同点の場合、早指しによるタイブレーク・ゲームが行われます。

  チェスにおいて何らかの称号をかけて実施するタイトルマッチは世界選手権のみで、開催は2年に1度。*1毎年7回のタイトル戦を行う将棋の世界に比べると少し寂しい気もしますが、その分世界選手権の価値は非常に高く、数多のチェス選手の中から挑戦者になるだけでも大変な名誉とされます。

 

2.出場選手

 マグヌス・カールセン(現世界チャンピオン)

  • 1990年11月30日生まれの25歳。ノルウェー出身。
  • 2016年11月期世界ランキング1位。レーティング*22853。
  • レーティングの史上最高記録*3を保持。誰もが認める現代チェス界最強の男。
  • 13歳4ヶ月27日でグランドマスターGM)の称号を獲得。*4
  • 10代の半ばからヨーロッパ各地のチェス大会を転戦する生活を始める。
  • 2013年、22歳で世界チャンピオンを獲得、翌2014年のタイトルマッチで防衛に成功。2016年は2度目の防衛戦。
  • 他のトップ選手に比べるとコンピューターを使った序盤研究に重きを置かないといわれている。
  • 対局中のドリンクは決まってオレンジジュース……だったがやめたらしい。今年開かれたチェス・オリンピアード*5でも水だった。
  • 肉体的なトレーニングも欠かさない。頭脳スポーツの選手としては中々いい体をしている。

 

 セルゲイ・カリャーキン(挑戦者)

  • 1990年1月12日生まれの26歳。出身はウクライナ(当時)のシンフェロポリで、かつてはウクライナの選手として活動していたが、現在はロシア籍。
  • シンフェロポリ出身=最近ロシアに併合されたクリミア半島の出身。籍を変えたのは2009年なのでクリミア併合とは無関係。
  • 2016年11月期世界ランキング9位。レーティング2772。
  • 12歳7ヶ月でGMの称号を獲得。これは今も破られていない史上最年少記録。
  • GM獲得の翌年の2004年にGMとコンピューターが団体戦を行う電王戦のようなイベントに参加し、コンピューターに一度勝っている。*6
  • その後も順調に成長を続け、2008年に一流GMの証とされるレーティング2700を突破。
  • 2014年に候補者大会に初参加した際は2位で惜しくも挑戦権獲得を逃す。2度目の参加となる今年3月の候補者大会で優勝し、初めて挑戦者となる。
  • カールセンの地元ノルウェーで開催されるノルウェー・チェスというスーパー・トーナメント*7で2013年、2014年とカールセンを上回って連覇。ノルウェーとは相性がいいのか?

 

3.会場

 決戦の地はニューヨークのマンハッタン。かつての魚市場をリノベーションした商業施設(?)フルトン・マーケット・ビルディングで全試合を行います。その昔の世界選手権では途中で開催地を移すこともあったそうですが、近年は単一会場での実施が主流です。

 

4.勝つのはどちら?

  ここまでの早指しを除いた直接対決の成績はカールセン側から見て4勝1敗16引き分け。レーティングでもカールセンが大きく上回っており、ファンの間でも専門家の間でも「カールセン持ち」が多数派です。

  

  有名サイトの専門家の見解まとめ記事を2本紹介しておきます。

www.chess.com

en.chessbase.com

  あのカスパロフも「カールセン持ち」ですね。

 

5.途中経過

  全日程の3分の1、4試合を消化した時点で4引き分け、2対2のタイです。様子見のような第1、2戦でしたが、第3、4戦ではカールセンが優勢となり、カリャーキンを追いつめました。

  カリャーキン側から見ると、2戦続けてなんとか引き分けまで辿り着いてタイの状態を保つことに成功したと言えるでしょう。追いつめながら勝ちを逃したカールセンは何を思い、これからどんなプレーを見せるのか。今後の展開からも目が離せません!

 

  なお、試合開始は全ゲーム日本時間午前4時です。

  睡眠は大事です……。

*1:近年は概ね2年に1回ペースが維持されていますが、過去には間隔が大きく開いたり、2人のチャンピオンが分立する時期があったりもするなど紆余曲折がありました。

*2:チェス選手の強さを示す指標。詳しくは「Eloレーティング」でググろう。観戦するときはスカウターに表示される“戦闘力”のようなものだと思っておけばいいと思います。

*3:2014年5月期に2882を記録

*4:多分将棋の中学生プロ棋士のようなものです

*5:2年に1回開かれる国別対抗の団体戦。ロシアやアメリカ、インドなどの強豪国からレーティングを持たないプレーヤーばかりの弱小国まであらゆる国・地域から代表が派遣される。

*6:藤井総太新四段が電王戦に参加したようなものですね。

*7:将棋ならA級や王将戦リーグ、竜王戦一組に相当する超ハイレベルな試合だと思われます。

国際親善チェス大会 in 新潟 2016 に参戦してきた(その3)

  新潟参戦記その3です。

 

  Round.3

  内容はともかく二連勝で2番ボードまで上がってきました。このラウンドの相手は若い男性。私は黒を持ちました。



  おそらくこの試合が大会通じて一番内容の良いゲームでした。検討もじっくり行ったので周辺に足を向ける余裕もなく次のラウンドへ。

 


  Round.4

  ついに1番ボード。やったぜ。相手は中学生?ぐらいの男の子でした。白なので勝つ気満々だったのですが、苦しい状況に追い込まれます……。


  明らかに敗勢のポジションを生き延び、4連勝できました。

 

 

6.おうちへ帰ろう!

  閉会式で表彰状と副賞(チェスセット)を頂いて帰路に着きました。主催者側で移動用のタクシーを呼んでくださっていたのは嬉しい配慮でした。
  バスの時間の都合で後夜祭には参加できず、新潟駅前で一人寂しくコンビニ飯を食ってから高速バスに乗りこみ、新潟を後に。疲れて爆睡している間に大阪着。

  

  サービスエリアにて日本海を眺めたことぐらいで新潟っぽさを感じない旅になってしまったなあ……。

 

 

7.反省会をしよう!

  まずチェス自体について。白を持った2ラウンド、4ラウンドはほぼ負けを覚悟した局面から相手のミスを突いての勝ち、ということで内容は悪かったのですが、4連勝できたということで考えられる最高の結果が得られてよかったということにしておきましょう!

  また、上のレベルのプレーヤーとの差を認識しモチベーションが上向きました。ひとまずBクラスで0.5でもポイントを持って帰れるぐらいの力を付けたいですね。

  

  イベント参加者としての反省点は、コミュ障ゆえ検討以外の場でほかの参加者の方と交流が持てなかったことですね……。折角色んな場所から参加者が集っていたのだからもう少し積極的になるべきだったなあ。

  あとカメラ。デジカメのバッテリーを詰め忘れて出発するという痛恨のブランダーにより天寿園の美しい庭園も羽生さんも会場全体の様子も何も撮れなかった!次チェスイベントに参加するときは忘れないようにしないと。

 

 

ということで新潟参戦記はこれで終わりです。

何やら無駄に長く取り止めのない文章にお付き合い頂いてありがとうございました……。