2018年のチェス界10大ニュース

1.Candidate TournamentにてFabiano Caruanaが優勝

  ベルリンで、世界王者Carlsenへの挑戦者を決める「Candidate Tournament」が開催されました。

dame-chess.hatenablog.com  激しい戦いの末、アメリカのGM Fabiano Caruanaが優勝し、挑戦権を手に入れました。

dame-chess.hatenablog.com  世界最高レベルのGMたちが、本気で勝ちに行く楽しいゲームが多数みられたこの大会ですが、個人的なベストゲームはAronian - Kramnikです。

   初心者が最初に教えられる「チェス序盤の基本」を真正面から無視する7...Rg8!は観戦する世界のチェスファンを瞠目させる一手でした。一見無茶に見える手を成立させていく構想力から、華麗な終局に至るまで、チェスの魅力が詰まった好ゲームだったと思います。

 

2.フィッシャー・ランダムの「世界選手権」開催

   かのBobby Fischerが提唱した、初期配置をランダムにする変則チェス「フィッシャー・ランダム(チェス960)」ですが、10年以上前にチェス960「世界選手権」の開催が止まって以来、現実の競技チェス界での広がりは停滞していました。

  そんな中、現世界王者Magnus CarlsenとHikaru Nakamuraが「非公式世界選手権」と銘打ったフィッシャー・ランダムのマッチを行いました。

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勝ったのは、Carlsenでした。

www.chess.com  このほか、レイキャビク・オープンでは休養日にEuropean Fischer Random Cup 2018という大会が開かれ、セントルイス・チェスクラブでは元世界王者KasparovやCarlsenら豪華メンバーを集めて早指しのチェス960マッチが実施されました。

  レイキャビク・オープン併催のFischer Random Cupは2019年も開催予定で、同年11月にはCarlsenの参加するフィッシャー・ランダム大会の開催も決まっています。

 2018年は、Fischer Randomが復活の狼煙を上げた年として記憶されるかもしれません。

 

3.全米選手権、下馬評を覆してSamuel Shanklandが優勝

  現在、アメリカのチェス界は世界王者挑戦を決めたFabiano Caruana、早指しに強いHikaru Nakamura、67戦連続無敗を記録したWesley Soが不動のトップ3を形成しており、2018年の全米選手権も3人のうちの誰かが優勝するとみられていました。

  ところが、優勝をさらったのは彼らに次ぐグループという扱いのSamuel Shanklandでした。

new.uschess.org  Shanklandはこの後も活躍を続け、Capablanca MemorialとAmerican Continentalでも優勝を飾り、FIDE公式戦62戦連続無敗という記録を作りました。

  Shanklandは年明け早々「チェスのウィンブルドン」といわれる権威ある大会、Tata Steel Chess Mastersに参加します。2018年、一気にスターダムへ駆け上がったShanklandにとって、2019年はこの地位を維持できるかどうか試される一念になりそうです。

 

4.Praggnanandhaaら、有望ジュニアプレーヤーが続々とGM称号獲得

   Rameshbabu Praggnanandhaaが史上二番目の若さでグランドマスターの称号を獲得し、一般メディアでも報じられるなど大いに注目を集めました。

dame-chess.hatenablog.com  しかし、2018年にGM称号獲得を決めたのは彼だけではありません。

  Praggnanandhaaと同じくインド出身でPraggnanandhaaのライバル的な存在であるNihal Sarin。

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  近年急激に力を付けつつある新興国イランのAlireza Firouzja。強烈な読みの力を生かしたタクティカル・プレーが持ち味です。

en.chessbase.com  若さでPraggnanandhaaの記録を上回ったウズベキスタンのJavokhir Sindarov。

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  このほか、GRENKE Openで優勝し、Isle of Manで惜しくも最後のノームを逃して2018年のGM獲得はならなかったVincent Keymerも注目株です。

  いずれ、彼らがCandidatesで戦うことになるのでしょうね。

 

5.チェス・オリンピアード開催

   2年に一度のチェスの祭典、チェス・オリンピアード。2018年、盛大に開催されました。

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  優勝はオープン、女子とも中国でした。オープンでは2014年トロムソ大会以来二度目、女子は2016年バクー大会に続く連覇で五度目の優勝でした。西欧、アメリカ、ロシア、東欧など伝統国に対し後発の新興国だった中国が、押しも押されぬチェス強豪国として、地位を固めてきたという印象です。

  中国代表ではDing Lirenのプレーが光りましたね。Duda戦は年間ベストゲーム投票でも上位に入る好局でした。

www.youtube.com  前回優勝のアメリカはNakamura、Wesley So、Caruanaの3人を擁して連覇を狙いましたが、タイブレークで惜しくも及びませんでした。

  大会を盛り上げてくれたのは、事前の評価を上回って優勝を争ったポーランド代表でしょうか。アメリカを倒すとは思いませんでした。

www.youtube.comDuda、Wojtaszekの2トップに続く3人がどうか、というチーム編成でしたが、3番ボード以降のプレーヤーが気を吐きました。

なお、日本代表も健闘しました。

 

6.FIDE会長選実施。ロシアの政治家、Arkady Dvorkovichが新会長に

  オリンピアードと同時に実施されたFIDE総会にて投票が実施され、ロシアの政治家Arkady Dvorkovich氏が新たなFIDE会長に就任することになりました。

  同時に立候補して注目を集めたイングランドも著名チェスプレーヤー、GM Nigel Shortは投票の直前に会長選からの撤退を表明。Dvorkovich体制下でFIDE副会長となりました。

 

en.chessbase.com  批判の多かった前会長Kirsan Ilyumzhinovの時代が完全に終わり、新時代を迎えるFIDE。どのような方向に進んでいくのか注目されています。

7.Ju Wenjunが女子世界王者に

  女子最高レーティングを持つ「チェス界最強の女」GM Hou Yifanがオクスフォード大学へ留学、10月から同大学での学生生活が始まりました。そんな中、Hou Yifanを除く女子チェス界の強豪を集めた女子世界選手権がノックアウト方式で開催され、Hou Yifanと同じく中国出身のGM Ju Wenjunが優勝しています。

en.chessbase.comJu WenjunはHou Yifanに次ぐ女子世界ランク2位のプレーヤー。Hou Yifanとはまだ差がありますが、留学でペースを落としている間に差を詰めて欲しいところですね。

 

8.Ding Lirenの連続無敗記録がストップ

  2017年からFIDE公式戦連続無敗を継続していたDing Liren。2018年11月深圳マスターズにおいて、記録は伝説的プレーヤーであるMikhail Talの95戦連続無敗に並びました。

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しかし、同じ大会の最中にDingの記録は100戦で途絶えました。止めたのはフランス第一位のGM Maxime Vachier-Lagraveでした。

en.chessbase.com  無敗記録は準優勝したWorld Cup、世界最高峰の舞台であるCandidates Tournament、中国代表の一番ボードを務めて優勝したオリンピアードでのゲームを含みます。一流のグランドマスターとして、相応しい舞台で戦い続けて築いた記録には大きな価値があると言えるでしょう。

9.Magnus Carlsen、世界王者を防衛

  2018年11月、現世界王者Magnus CarlsenとFabiano Caruanaの間で、「チェス世界王者」の称号かけたタイトルマッチが行われました。

dame-chess.hatenablog.com  こんな事件もあったりしつつ……

dame-chess.hatenablog.com  両者の戦いは12戦連続の引き分けとなりました。最終第12ラウンド、解説を担当していたGMたちが「黒Carlsen優勢」の判断で一致する中ドローオファーを出したCarlsenの判断は、大きな議論を呼びました。次のタイトルマッチでは、フォーマットの変更も検討されるかもしれません。

www.chess.com

  プレーオフでは、Carlsenが三連勝して防衛に成功しました。

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  これまでと同じサイクルが続くのであれば、次のタイトルマッチは2020年。Carlsenは、「世界王者」のまま2010年代を終えることになりそうです。

 

10.AlphaZero、再臨

  2017年12月、ゼロから機械学習したニューラル・ネットワークとMCTSを用いたエンジンで現在最強のエンジンStockfishを打ち破ったと発表し、チェス界に衝撃を与えたDeepmind社のAlphaZero。2018年12月、Deepmind社から再びAlphaZeroについて発表がありました。AlphaZeroについての論文が、サイエンス誌に掲載されたというのです。

  チェス界からの注目点は二つ。

  一つ目は、前回Arixiveに発表されたペーパーでは「Stockfish側に不利な条件で対戦が行われた」との指摘がありました。それを踏まえてなのか、今回はマッチの条件が調整されています。具体的には、Stockfishに対するオープニング・ブックの付与、TCECルールによる指定局面戦、Stockfish側ハードウェアの増強(ハッシュの拡大)などが実施されました。条件を変えても、AlphaZeroはStockfishを上回る力を示しました。

  二つ目は、新たに公開された棋譜の数々です。数量の多さもさることながら、やはりプレー内容にロマンが溢れています……。

www.youtube.com

www.youtube.comこのスペックのStockfishを相手に景気よくポーンやピースを投げ捨て、主導権やピースの活動性を生かして戦う。できることなら、私もこんなプレーがしてみたいものです。

 

 

2019年が、チェス界にとって愉快な年でありますよう。

チェスの終局ルールと持ち時間ルールの話

  オセロの大きな大会で、終局をめぐるトラブルがあったようです。

blog.livedoor.jp  

 

……ということで、チェスの持ち時間ルール、及び終局ルールについて書いていきたいと思います。

チェスの公認ルールブックはFIDE Laws of Chessです。

www.fide.com  この「Laws of Chess」は駒の動かし方や「チェックメイト」の定義などチェスというゲームそのもののルールを定めた「BASIC RULES OF PLAY」と、チェス大会を開いた際の大会進行、競技のルールを定めた「COMPETITION RULES」の二部に分かれています。

 

1.チェスの終局ルール

終局についてのルールは第一部の「BASIC RULES OF PLAY」に記述されています。

 

少し長くなりますが、「Laws of Chess」の第5条、「The completion of the game」を全文引用します。

Article 5: The completion of the game
5.1.1 The game is won by the player who has checkmated his opponent’s king. This immediately ends the game, provided that the move producing the checkmate position was in accordance with Article 3 and Articles 4.2 – 4.7.
5.1.2 The game is won by the player whose opponent declares he resigns. This immediately ends the game.
5.2.1 The game is drawn when the player to move has no legal move and his king is not in check. The game is said to end in ‘stalemate’. This immediately ends the game, provided that the move producing the stalemate position was in accordance with Article 3 and Articles 4.2 – 4.7.
5.2.1 The game is drawn when a position has arisen in which neither player can checkmate the opponent’s king with any series of legal moves. The game is said to end in a ‘dead position’. This immediately ends the game, provided that the move producing the position was in accordance with Article 3 and Articles 4.2 – 4.7.
5.2.3 The game is drawn upon agreement between the two players during the game , provided both players have made at least one move. This immediately ends the game.

 

 5.1.1 

 これは「チェックメイト」の時、ゲームが終わるという内容の条文です。「This immediately ends the game」ですから、チェックメイトによってゲームは即時終了します。

  「Article 3」は合法手を定義した条文、「Articles 4.2 – 4.7」は正しい着手動作について規定した条文です。以降の条文でも「Article 3とArticles 4.2 – 4.7に従って」と書かれている場合、「正しい着手動作で、合法手によって」という意味合いになります。

5.1.2

 「投了」の宣言によってゲームが終了するという内容です。これも「This immediately ends the game」ですので、投了の瞬間ゲームは終わります。

5.2.1

  手番を持つプレーヤーに合法手がなく、かつ手番を持つプレーヤーのキングがチェックされていない状態を「ステイルメイト」と呼ぶこと、そして「ステイルメイト」によってゲームが終了することが定められています。この条項も「This immediately ends the game」と書いてありますね。ステイルメイトの状態が出現した瞬間、ゲームはおしまいです。

5.2.2

  どちらのプレーヤーも合法手の連続によって相手キングをチェックメイトすることができない状態のことを「dead position」と呼ぶこと、このdead positionに達した時点でゲームは引き分けとなって終了することが定められています。

この条項も「This immediately ends the game」という表現でゲームが即時終了する旨が記されています。

5.2.3

  両プレーヤーが合意した場合、ゲームが引き分けとなり、即時終了すると書かれています。

 

繰り返し書かれている、「This immediately ends the game」がポイントです。チェスのゲームは次の場合に即時終了します。

・手番を持つプレーヤーに合法手がない(チェックメイト、ステイルメイト)

・dead positionへの到達

・投了の宣言

・引き分けの合意

次に、持ち時間、対局時計のルールを見ていきます。

 

2.チェスの持ち時間ルール

  持ち時間、対局時計の扱いは「COMPETITION RULES」に含まれ、第6条「The chessclock」記載されています。

こちらは全文引っ張ってくると長くなってしまうので、関係のある部分だけを引用してきます。

6.2.1

During the game each player, having made his move on the chessboard, shall stop his own clock and start his opponent’s clock (that is to say, he shall press his clock). This “completes” the move. A move is also completed if:

6.2.1.1

the move ends the game (see Articles 5.1.1, 5.2.1, 5.2.2, 9.6.1 and 9.6.2), or

 6.2.1

  「時計止める」ことで着手が完了する、と定めたルールです。「A move is also completed if:」以下で、時計を止めなくても着手完了とみなされる例外を規定しています。

6.2.1.1

  第5条の終局ルールの条文が出てきましたね。5.1.1は「チェックメイト」、5.2.1は「ステイルメイト」、5.2.2は「dead position」について書かれています。これら3つの局面に到達した瞬間の指し手は時計を止めなくても「着手完了」とみなされます

6.9

Except where one of Articles 5.1.1, 5.1.2, 5.2.1, 5.2.2, 5.2.3 applies, if a player does not complete the prescribed number of moves in the allotted time, the game is lost by thatplayer. However, the game is drawn if the position is such that the opponent cannot checkmate the player’s king by any possible series of legal moves.

6.9

  「時間切れ負け」について定めた条文です。第5条の終局ルールが適用された場合を除き、持ち時間を使い果たしたプレーヤーの負けになると書かれています。終局ルールが適用された場合は「時間切れ」ルールの適用から除外されるということです。

  チェックメイト」の後で「時間切れ負け」になることはありません。

  面白いのが「However」以下で、持ち時間を使い果たしたプレーヤーAの対戦相手Bが合法手の連続によってAのキングをチェックメイトする手段を持たない場合、ゲームは引き分けとなります。

  キングだけで逃げ続けて相手を時間切れに追い込んでも「勝ち」にはなりませんよ、ということです。

 

3.スコアシート

  記録については第8条「The recording of the moves」に記載されています。

8.7

At the conclusion of the game both players shall sign both scoresheets, indicating the result of the game. Even if incorrect, this result shall stand, unless the arbiter decides otherwise.

 対局後のスコアシートには両者が署名します。

www.youtube.com実際の世界大会の映像です。終局後、お互いのスコアシートを交換して署名していますね。

 

 4.まとめ

チェスの終局ルールと持ち時間ルールを見てきましたが、基本的には、盤上の局面で勝った、あるいは負けなかったプレーヤーが時間切れで負けにならないように配慮されているように思います。

世界には様々な盤上ゲームがありますが、どのゲームも「局面と無関係に時間切れを狙うゲーム」ではなく、できる限り「マインドスポーツ」として盤上での指し手、打ち手が勝敗を決する要素であってほしいですね。

 

チェスの「プロ棋士」その3 チェスのプロが参加する棋戦の仕組み

  囲碁や将棋の世界では「棋院」や「連盟」など、プロ棋士の所属団体が棋士に対して参加すべき対局を割り当てます。棋士は、団体から地位の保証や報酬を受ける代わりに棋戦に参加する義務を負います。

  では、プロ団体やプロ制度を持たないチェスの世界の棋戦はどんな風に回っているのでしょうか?

 

1.大会エントリー

  チェスの選手たちは、数ある大会の中から自分で参加する大会を決めます。エントリー方法は大きく二通りです。

a.招待

  大会を盛り上げるため強いプレーヤーを呼びたい主催者は、マスター達に招待状を送ります。招待を受けるかどうかはマスターの自由です。国際チェス連盟(FIDE)の招待を蹴っても問題ありません。

b.自主登録

  一部の招待制の大会を除く多くのチェス大会は、広く一般のエントリーを受け付ける*1形になっています。大会公式サイトのエントリーフォームや電子メールなどの連絡手段を使って自分でエントリーを行います。

 

  また、出場選手たちは参加の条件について主催者と交渉します。交通費、宿泊費、エントリー料金といった大会参加コストの主催者側負担、参加日程の変更*2、appearance fee=出場報酬などが交渉の対象になります。大抵のプレーヤーは自分で交渉しますが、トップ中のトップ選手になるとマネージャーがつくこともあります。

  こうしてチェス選手たちは条件を比較しながら自分で出場大会を決めてスケジュールを組んでいきます。当然、賞金や出場報酬など条件のいい大会ほど強いプレーヤーが集まります。

 

2.大会の種類

  チェス大会にも種別があります。

 2-1.参加形態による分類

a.オープン

  大会運営のキャパシティが許す限り無制限にエントリーを受け付けます。アマかプロか、マスターか非マスターかは問われません。参加者レートの下限を設定する大会もありますが、その場合でもレーティング2000や2100程度の非マスターレベルのプレーヤーが参加できるレベルに設定されることが多いですね。*3

b.クローズド

  主催者から招待されたプレーヤーだけが参加できる大会です。

11月23日追記:

  IM小島慎也さんから、次のような指摘を受けました。

   「招待の有無」によって分類するのは正確ではなかったですね……。

 2-2.進行方法による分類

a.スイス式

  チェス大会の定番です。成績の同じプレーヤー同士を対戦させていくリーグ戦とでも言えばよいでしょうか。こちらのページでわかりやすく解説されています。

殆どのFIDE公認大会では、FIDEから認められたスイス式の組み合わせ決定ソフトを使って組み合わせを決めています。

  オープン制の大会は概ね「スイス式」で運営されます。

b.総当たり方式

  英語では「round robin」と呼ばれる仕組みですね。参加者全員で総当たりのリーグ戦を行います。かつては四回戦総当たりといった長い大会も開かれていたのですが、最近では一回戦総当たりが普通で最大でも二回戦程度です。

  クローズド制の大会ではこちらが主流です。

c.ノックアウト方式

  勝ち抜き戦方式、日本語の「トーナメント」です。チェスでは白番が黒番より優位とされるため、各ラウンドごとに白番と黒番を同数ずつこなす、ミニ・マッチの形式で勝ち抜くプレーヤーを決めます。

  囲碁や将棋では主流になっているノックアウト方式ですが、チェスでは主流とはいえず、あまり行われていません。最近、娯楽性の観点から「トップレベルではノックアウト式を増やすべきではないか」という意見も増えています。

d.1対1マッチ

   二人のプレーヤーが、決まったゲーム数を戦います。

  この形式の棋戦では、今行われている世界選手権のタイトルマッチが最も有名ですね。他に、主催者の好みでプレーヤーを二人選んで戦わせるマッチもよく行われます。チェスイベントの目玉として、地元のトップGMと海外から招待した有名GMがマッチを行ったりします。特にタイトルがかかったりはしませんが、持ち時間やアービターの配置など条件を満たせばレートのつくFIDE公式戦になります。

 

  

  将棋や囲碁のプロ棋戦は数か月単位の時間をかけて予選や挑戦者決定リーグの対局を少しずつこなしていく形が多いのですが、チェスの大会は、短期集中開催する形式が一般的です。

  連戦は当たり前、場合によっては持ち時間数時間のゲームを一日2ラウンドをこなすこともあります。早指しなら一日3ラウンド、4ラウンドもざらです。体力的にも中々大変ですね。

 

2-3.持ち時間による分類

  公式のレーティング対象となるチェスの持ち時間は三種に分かれています。

a.スタンダード(クラシカル)

  長時間行われるゲームのことを指します。団体によって条件は変動しますが、FIDE公式戦でレーティング2200以上のプレーヤーがゲームを行う場合、最低でも60手に対して2時間以上の持ち時間が与えられなければ「スタンダード」のレート対象なりません。90分+一手30秒加算のフィッシャー式が最低ラインとなります。

  チェス選手の格は、この「スタンダード」の持ち時間で行うゲームに対して与えられるFIDE公式レーティングによって決まります。「グランドマスター」などFIDE公認称号の認定も、この「スタンダード」のレーティングをもとに行われます。チェス選手にとって、最も大切な持ち時間でしょうね。

b.ラピッド

  いわゆる早指しです。FIDEのレーティング規定上では、60手続いた場合の持ち時間10分を超え、60分未満のゲームが「ラピッド」として扱われ、スタンダードとは別のレーティングがつきます。

c.ブリッツ

   「超早指し」のことです。FIDEのレーティング規定上では、60手続いた場合の持ち時間5分以上、10分未満のゲームが「ブリッツ」として扱われ、スタンダードとは別のレーティングがつきます。3分+一手2秒加算のフィッシャーモードが最低ラインです。

  スタンダードの大会のサイドイベントとして、賞金付きのブリッツ大会が開かれることも珍しくありません。

 

  この他に、ブリッツよりもさらに短い、持ち時間1分、2分程度で行われる「ブレット」「ライトニング」などと呼ばれる種別もあり、インターネットの対戦サイトでは「ブレット」の賞金付き大会が開かれています。

  近年のトッププロが参加するレベルの大会では、娯楽性を重視した持ち時間の短い大会を増やしていく動きがあります。

2-4.団体と個人

a.個人戦

  説明する必要もないと思いますが、プレーヤーが独立して個人で参加する大会です。

b.団体戦

  チェスは団体戦も盛んです。各国のクラブ対抗リーグや、国別代表が戦うオリンピアードなどがあります。プロ化している一部のクラブでは、報酬を支払ってトッププレーヤーを雇います。

 

3.スーパートーナメント

3-1.「スーパートーナメント」とは

  チェスのタイトル戦は「世界選手権」だけです。タイトルは「世界王者」ただ一つです。つまり囲碁・将棋の世界で言うところの「七大タイトル」のようなものはないのですが、囲碁・将棋のタイトル戦挑戦者決定リーグに相当する、高額賞金の提供されるトップレベルの大会を俗に「スーパートーナメント」と呼びます。

  「スーパートーナメント」には主催者から招待されないと出られません。基本的にはスタンダードのFIDEレーティングで2700以上、低くとも2600台後半の世界トップ100クラスでないと声がかかりにくい世界です。*4

  この「スーパートーナメント」に安定して招待され、「スーパートーナメント」を転戦できる地位を得ることがチェスのトーナメント・プロとして一つの到達点と言えるでしょう。

3-2.スーパートーナメントへ至る道

  とにかく、各地で行われるオープン制の大会やクラブチームの大会で勝ちまくり、レーティングを上げてプレーヤーとしての「格」を高めていくしかありません。レーティングを上げていけば、主催者から招待が舞い込むようになります。

  スーパートーナメントに出られる地位を得たら、あとは勝ち続けてその地位を守り続けなければなりません。プレーヤーとしての格が落ちてしまうと、招待状の数は減っていきます。

 

 4.まとめ

  長々と説明してきましたが、大雑把に言うと、チェスのトーナメント・プロの在り方はテニスやゴルフのツアーに参加するトーナメント・プロ選手の在り方に近しいのではないかと思います。チェスのプロは一定数以上の大会に参加する義務も負わないため、自由度は更に上です。*5

  収入や地位の保証は一切なく、競争から逃げられないけれども、限りなく自由。それがチェスのプロ選手の世界と言えそうです。

*1:チェスクラブのメンバーに限定したクラブ内の大会や、国内の選手にエントリーを限定したナショナル・トーナメントなど、一定の制限を設けることもある

*2:特定のラウンドを休む「Bye」、ラウンド日の入れ替えなど

*3:何事にも例外はあり、例えばAeroflot Openは2500+のGMクラスを要求する。

*4:地元枠でややレートの低いプレーヤーが呼ばれることもある

*5:チェスにはATPやPGAのようなプロツアー組織がない。最近「Grand Chess Tour(GCT)」が発足したが、年間五大会のみで発展途上

2018年チェス世界選手権タイトルマッチ、情報漏洩事件発生!?

  チェス世界選手権タイトルマッチが進行中ですが、勝負の行方に影響を及ぼす……かもしれない事件が起きました。

 

1.Youtubeに投稿された動画

まずはこちらのツイートをご覧ください。ツイートしたのはChess Life誌のコラムニストJohn Hartmann氏、及びシンガポール在住のチェス史家Olimpiu G. Urcan氏です。

 

 タイトルマッチの挑戦者Caruana陣営の合宿の様子を撮影した動画が投稿され、そこにCaruana陣営の序盤研究の内容が映り込んでいたというのです!

現在、動画は削除されており、見ることはできません。

https://www.youtube.com/watch?v=WvOS2hM2IfY

 

2.投稿者、セントルイス・チェスクラブ

  動画を見たチェス記者、Tarjei J. Svensen氏によれば、動画を投稿したのはセントルイス・チェスクラブ。

 Caruana陣営の内部情報を投稿できるセントルイス・チェスクラブとはいったい何者なのでしょうか?

 

  セントルイス・チェスクラブはセントルイス市民向けのチェス講座を開くなど、普通のチェスクラブらしい活動も行っています。しかし、世界のチェスファンにとっては、世界のトップ選手が参加する「スーパー・トーナメント」が開かれる会場として知られます。近年では、チェスの全米選手権の会場としても定着しました。

  なぜ、アメリカの一地方都市のチェスクラブにアメリカや世界のトップ選手が集まるのか。それはチェス好きの富豪、Rex Sinquefield氏が後ろ盾となっているからです。現在のチェス界最高の大会の一つである、Sinquefield Cupの「Sinquefield」はSinquefield氏の名前からとられています。


Sinqufield氏の尽力により「チェスの首都はセントルイスに移った」とまで言われるようになりました。

 

www.bbc.com

Caruanaはイタリア籍からアメリカ籍にチェス国籍を再変更した際にセントルイスに移り住んでおり、Sinquefield氏がCaruanaのパトロン的存在になっているとも言われています。

 3.漏れた情報

3-1.研究チームのメンバー

  Caruanaの研究チームに加わっているマスターの名前が明らかになりました。Svensen氏のツイートによれば、Caruanaの常任セコンドのRustam Kasimdzhanovに加えて、GM Alejandro Ramirez、GM Leiner Donmiguez、GM Ioan-Cristian Chirilaの姿が確認されたそうです。 RamirezとChirilaはセントルイス・チェスクラブの大会解説などでお馴染みの「セントルイスのいつものメンバー」という感があります。

  現在キューバ籍のDonmiguezはアメリカに移住し、近くアメリカへチェス国籍を移すと噂されていました。Caruanaのチームに加わっていたんですね。

3-2.準備している序盤定跡

  もう一度、ツイッターに投稿された画面キャプチャを見てみましょう。画面にデータベースの定跡ファイルが映っているのがわかりますね。

 もう少し拡大しましょう。下のほうは2016年にCarlsenが戦ったタイトルマッチの棋譜です。問題は上のほうです。

f:id:dame_chess:20181113234954j:plain

赤線は私が入れました。「QGD」や「Petroff」というのはチェスの定跡の名前です。この「QGD Bf4 10.Rd1 Re8」は第2ゲームで実際にCaruanaが黒を持ってプレーしたラインに近い形です。

実戦の10手目はRd8でした。これを見たCarlsenは時間を使い始め、すいすいと研究手を指し進めたCaruanaは持ち時間で大差をつけることになりました。

 

4.フェイク?高度な情報戦?

  私自身動画本体は見られなかったのですが、gifやjpgのキャプチャを見る限り広報用の動画だったようです。最初から晒すことを前提として「晒しても良い情報」を選んでいる可能性もあるでしょう。

ただ

・実際に使用されたラインに近いもの+Caruanaの得意定跡Petroffという画面に映ったラインナップがリアル

・「World Championship」が「Word Championship」という誤字になっている

・削除して「なかったこと」にされている

計画的な行動には見えないんですよね……。すべての振る舞いが計算された「高度な情報戦」なのかもわかりませんが、少なくとも勝負が終わるまでは真実は藪の中でしょう。

王者Carlsen陣営が公開した合宿の様子はこんな具合です。

 隠したい部分はぼかしてますね。

 

5.実際の影響

  画面に映った研究内容が「本物」だった場合、Caruana陣営は苦笑いしているかもしれません。特に「Fianchetto Grunfeld」はおそらく勝負に出る時の武器だったはずなので、それが表に出てしまったのは痛い。   

  それでもタイトルマッチ前の研究があれだけのはずはありません。研究チームのメンバーにしても「セントルイスの面子でチームを組んだらああなるかな」という予想の範疇内。「本物」だったにしても影響は限定的だと思います。

 

  何年か経ったとき、このマッチを振り返る面白いトリビアの一つになっていることでしょう。

2018年チェス世界選手権タイトルマッチ Carlsen - Caruana 開幕

  世界最強のチェスプレーヤーを決める戦い、チェス世界選手権タイトルマッチが開幕します。

概要

大会名 FIDE World Chess Championship 2018
開催地 イギリス・ロンドン
賞金 賞金総額最低100万ユーロ、勝者60%敗者40%で分割
方式 1対1の12ラウンドマッチ、6.5ポイント先取、同点の場合早指しによるタイブレーク*1

参加者リスト

名前 所属連盟 FIDEレート 備考
Magnus Carlen ノルウェー 2835 現世界王者
Fabiano Caruana アメリ 2832 挑戦者

公式サイト

FIDE World Chess

注目点

1.2010年代チェス界の王者Carlsen

  今回のタイトルマッチで王者として挑戦者を迎え撃つのはMagnus Carlsen。絶対的な強さを誇り、2010年代のチェス界に君臨してきました。2010年、Carlsenは19歳で初めて世界ランク1位となります。しばらくはベテランのTopalov、Anandとランク1位を争う状態が続きましたが、2011年にランキング1位へ再浮上した後は現在に至るまで7年間一度も世界1位の座を譲っていません。
  2013年、Carlsenは初の世界選手権タイトルマッチに挑み、Anandを倒して「世界王者」のタイトルを手に入れました。以来、2014年のAnandとの再戦、2016年のKarjakinとのマッチにも勝利し、タイトルを防衛し続けています。

2.Carlsenのプレースタイル

  Carlsenも過去の世界チャンピオンと同様、「天才少年」として10代前半から名を馳せてきました。「天才少年」時代のCarlsenは、目の覚めるようなコンビネーションを繰り出して相手を切り倒す、華やかなスタイルでした。いわゆる「タクティカル・プレーヤー」というやつです。
  一方、現在のCarlsenはどちらかというと、陣形の優位を少しずつ拡大して決定的な差を築き上げる「ポジショナル・プレーヤー」として知られています。特に駒が減ってきた中盤戦の後半から終盤のスキルに優れていると言われ、一見何も手掛かりのなさそうなところから争点を作り出し、僅かな緩手を捉えて大差にしてしまいます。好調時のCarlsenは長いゲームを厭わず、勝利を追い求めて攻め続けます。
  Carlsenは特定の「得意定跡」を持たず、オールラウンドに様々な定跡を使いこなします。「深い序盤研究を刺して勝つ」というようなことはあまりなく、力戦で力を発揮するタイプです。

3.王者の不調?

  2011年から世界ランク1位の座を譲っていないCarlsenでしたが、ここ2年のパフォーマンスは「低調」と言われています。2016年はKarjakinとのタイトルマッチを制したものの、タイブレークまでもつれた内容は高く評価されませんでした。元FIDE世界王者GM PonomariovはChessBaseに寄せたコメントの中で「Carlsenは進歩を止めてしまった」「彼には尻を蹴り上げるライバルが必要」と語っています。*2
  2017年、年頭の恒例イベントTata SteelでCarlsenはメイトin3を見落とすミスをしてしまいます。また、母国ノルウェーで開かれたスーパートーナメント、Norway Chessでは2敗を喫し10人中9位に終わりました。現役王者としての参加が注目を集めたFIDE World Cupでは格下とみられたBu Xiangzhiに敗れ、まさかの三回戦敗退。
www.youtube.com
  チェス選手の戦績を測る指標として「パフォーマンス・レーティング」というものがあるのですが、2017年のCarlsenは、このパフォーマンス・レーテイングで世界ランク1位を取る前の2009年と同じ水準にとどまりました。


  ……とはいえ、この間にもChess.com Isle of Manで優勝するわ世界ブリッツで優勝するわGrand Chess Tourでツアー優勝するわで他のトップGMたちと比較すると凄まじい戦績を残しているのがCarlsenという男です。そもそも、パフォーマンス・レーティングが2800を超えていて不調扱いされる時点で何かがおかしいのです……。批判は、Carlsenに期待しているものの大きさ故なのでしょうね。

4.過去最も「打倒Carlsen」に近い挑戦者Caruana

  そのCarlsenに挑むのが、今年3月の挑戦者決定大会、Candidatesで優勝したFabiano Caruana。CaruanaについてはCadidatersが終わった際に紹介記事を書いたので、手前味噌ですがこちらをどうぞ。
dame-chess.hatenablog.com
  Caruanaは26歳で、27歳のCarlsenにとっては初めて迎える「年下の挑戦者」となります。
  また、2018年のCaruanaは「クラシカル」と呼ばれる長時間のゲームだけで75ゲームをこなしています。年明け早々のTata Steel Chessこそ4敗を喫しましたが、ベルリンCandidatesでCarlsenへの挑戦権を手に入れてからは好調な一年を過ごしています。タイトルマッチ直前、11月発表のレーティングでは世界ランクを2位まで上げCarlsenとのレーティング差は「3」という僅差に迫りました。実は世界ランク1位と2位の間で世界王者を決めるタイトルマッチが行われるのは1990年のKasparov対Karpov以来のこと。
  若く、勢いのある挑戦者がCarlsenに挑むのです。

5.Carlsen VS Caruana過去の対戦成績

  さて、CarlsenとCaruanaはこれまでにも多数の対戦を経験しています。これまでの通算成績はCarlsenの10勝5敗18分Carlsenが5つリードしています。では、2017年以降はどうでしょうか?

年月 大会名 Carlsenの色と勝敗 オープニング(ECO)
2017年4月 GRENKE 白・引き分け C01
2017年6月 Norway Chess 黒・引き分け C84
2017年8月 Siquefield Cup 黒・引き分け C78
2017年9月 Isle of Man 黒・勝ち C78
2017年12月 London Classic 白・引き分け D27
2018年1月 Tata Steel 白・引き分け C42
2018年3月 GRENKE 黒・引き分け E60
2018年5月 Norway Chess 白・勝ち C24
2018年8月 Siquefield Cup 白・引き分け A00

*3
  というわけで、2017年以降はCarlsenの2勝0敗7分となっています。
  CaruanaがクラシカルでCarlsenに勝ったのは、2015年6月のNorway Chessが最後です。

6.セコンド

  トップクラスのGMは、研究パートナーやトレーニングゲームの対戦相手としてマスターを雇います。このようなマスターのことを「セコンド」と呼びます。
  Caruanaには常任のセコンドRustam Kasimdzhanov、Carlsenには常任のセコンドPeter Heine Nielsenがついていますが、世界選手権のような重要な試合に臨む場合は臨時セコンドを雇ってチームを組むのが一般的です。Carlsen陣営からはこんな映像が公開されています。


  前回タイトルマッチでは、マッチの終了後にフランス王者のVachier- Lagraveを雇っていたことが明かされ、チェス界の話題となりました。今回のマッチでは誰が「秘密のセコンド」を務めているのでしょうか。

7.オープニング・プレパレーション(事前研究)

  中盤以降のスキルを高く評価されているCarlsenにとって、唯一といってもいい弱点は序盤研究だと言われています。上述したように、Carlsenは高度で深い研究手順を指すことよりも力戦を好む、「盤の前で考える」タイプのプレーヤーです。
  一方、Caruana陣営は序盤研究の深さに定評があります。2016年のLondon Chess Classicではコンピュータでも容易には見つけられない研究手順を披露して鮮やかな勝利を収めました。
en.chessbase.com
こう書くと序盤ではCaruanaが優位に立てそうに思えてきますが、さにあらず。Carlsenどのような定跡・ゲーム展開でも概ねトップレベルで指しこなせてしまうため、対戦相手は非常に的が絞りづらいのです。Carlsenは「ポジショナル・プレーヤー」と言われていますが、今年のBielではSvidler相手にシシリアン・ナイドルフで激しいタクティカル・プレーを見せました。また、Carlsenトップレベルで採用されなくなっている定跡を敢えて採用して、なおかつ勝ってしまうことがあります。同じく今年のBielでは指折りの攻撃的プレーヤーVachier- Lagrave相手に黒でピルツを指し、長く難解なエンドゲームを戦い抜いて勝利を手にしています。
  何をやってくるかわからないCarlsen陣営に対し、深い序盤研究を突き刺そうとするCaruana陣営という対比になりそうです。

8.早指しの強さ

  「クラシカル」の12ゲームで決着が付かない場合は、早指しのタイブレークになります。国際チェス連盟では、Rapid=早指し、Blitz=超早指しのレーティングも発表していますが、この両方で1位なのがCarlsenです。Carlsenは早指しが苦手ではない、それどころかむしろ得意領域、世界最強といってよいレベルなのです。昨年、Chess.comが開いたネット大会の決勝では、早指しに強いことで知られるGM Hikaru Nakamuraを下して優勝しています。
  一方のCaruana。Rapidで世界10位、Blitzで世界18位と早指しでも世界トップクラスのプレーヤーではあるのですが、早指し世界最強のCarlsenに対しては厳しい戦いを強いられそうです。Caruanaとしては、タイブレークに入ってしまう前に決着をつけたいところです。

9.勝利へのシナリオ

  タイブレークを避けたいCaruana陣営がどの段階でリスクを取って勝ちに行くか、というのが注目点になってくるように思います。普段CarlsenやCaruanaが戦っている総当たり方式の大会では、「Carlsenとの対戦は引き分けでしのげばよい」というスタンスを取れるのですが、一対一のマッチで勝ち越したいならそうはいきません。一方のCarlsenは、「勝ち越せなくともタイブレークまで持ち込んでしまえばこちらのものだ」と割り切ることができます。
  一度Carlsenが勝ち越してしまえば、Caruanaはその段階から常に勝ちを目指して戦うことを強いられます。リードを維持すべく、堅実にプレーするCarlsenを相手に争点を作り出し、なおかつ勝利を収めるのは容易なことではありません。
  Caruana側はできれば早い段階で研究手を生かして勝ち越しを作り、リードを守る体制に切り替えたいところです。
  また、2016年、2017年の「不振」によりモチベーションの低下が指摘されてきたCarlsenがマッチの序盤でどんな戦いぶりを見せるかも注目です。あっさり引き分けにしてしまうのでしょうか、それとも長手数にわたってプッシュし続ける「良い時のCarlsen」が見られるのでしょうか。ノルウェータブロイド紙の取材を受けたCarlsenは、今年のSinquefield Cupで2つの長手数のゲームを勝ったことについて「良い兆候」だと語っています。
en.chessbase.com

10.観戦

主催のWorld Chessは20米ドルの有料で現地映像+独自解説を提供しています。
FIDE World Chess

World Chessは他の媒体に対して棋譜中継の30分ディレイを命じ、同時中継したい場合は主催者の用意する公式ウィジェットを使うよう通知しています……が、どこの中継サイトも配信者も通知を無視して勝手に独自中継&解説会をやっています。
Chess.comの特設サイトで見るなり……
www.chess.com
Chess24の特設サイトで見るなり……
chess24.com
Chessbomb民のコメントつきで棋譜中継を見るなり……
www.chessbomb.com
お好みに合わせて楽しめばよいと思います。

対局開始後にTwitchで「Chess」と入れれば世界選手権解説会が色々出てくるので、そこから選んでもいいんじゃないですかねー。
なお、対局開始時刻は日本時間午前0時、と日本勢にとって大変厳しい時間の開催ですが、頑張っていきましょう……。

*1:25分+一手10秒のラピッドを4ゲーム、ラピッドで決着しない場合5分+一手3秒のブリッツを2ゲーム、ブリッツでも決着しない場合白4分、黒5分+60手目以降一手3秒のアルマゲドン方式=引き分けの場合黒を黒を勝者とする

*2:https://en.chessbase.com/post/newsblog-wcc-carlsen-karjakin-2016-12-01-en

*3:チェスの序盤定跡にはアルファベットと数字からなる「ECOコード」が割り振られている。定跡の呼称が異なっても、同じ手順ならばECOコードは共通なので、定跡データベースで同じ定跡のゲームを調べたい時にECOコードで検索すると便利。

チェスの「プロ棋士」その2 チェスのプロはどうやって稼いでいるのか、というお話

  ただの一ファンにわかる範囲で「チェスのプロ」たちが稼ぐ方法を語っていきたいと思います。

 

1.チェス競技者として稼ぐ

1-1.大会賞金

  大会に出ると成績に応じて賞金が出ます。最もイメージしやすい、ポピュラーな稼ぎ方ですね。広くエントリーを受け付けるオープン大会の場合、賞金額は具体的に公表されていることが多いです。

1-2.大会出場料

  競技者のレベルや大会の懐具合によっては、「appearance fee」といって出場するだけでプレーヤーに一定の報酬が支払われることもあります。囲碁・将棋でいうところの「対局料」と言えるでしょうか。こちらについては非公表になっていることが大半で、実態は伺い知れないですね……。

1-3.クラブチーム

  プロ化しているクラブチームのためにプレーして、報酬を得ることもあります。2700クラスの強豪GMともなると、ドイツの「ブンデスリーガ」や中国の「甲級リーグ」など世界各地のリーグを掛け持ちして転戦します。

1-4.個人スポンサー

  チェスにはプロ団体がないので、選手個々人がスポンサーをつけます。有名どころでは、アメリカのGM Hikaru Nakamuraがレッドブルを個人スポンサーにしていますね。

www.youtube.com

1-5.多面指し

  これはどのジャンルに入れるか迷ったのですが、将棋や囲碁の「指導対局」とは異なり、チェスの「Simultaneous exhibition*1」は「指導」のニュアンスが薄いのでこちらに含めました。映像はChess.comの運営に関わっているIM Daniel Renschによる目隠し多面指しの様子です。

www.youtube.com

2.チェス指導者/コーチとして稼ぐ

  チェスのプロたちの中で、完全に「プレーだけ」「競技だけ」の稼ぎでやっていけるのは一握りの精鋭のみです。ということで、大抵のプロたちはチェス指導者として日々の糧を得ることになります。

2-1.個人コーチ

   チェスの家庭教師、とでも言えばよいのでしょうか。個人に雇われてチェス指導を行います。1980年代後半アメリカのチェス界を描いた「ボビー・フィッシャーを探して」では、名コーチBruce Pandolfiniが著者の息子、ジョッシュのもとを訪れて指導を行う様子が描かれます。

二人が駒と対話しているあいだ、私*2は台所に腰掛けて、レッスンの進み具合はどうだろうと気をもむ。私がいるとジョッシュの気が散ることはわかっているのだが、それでものぞいてみたくなる。とうとう我慢ができなくなると、居間のむこうから二人の様子を数分間眺める。よくあるのは、ブルースが椅子に深くもたれてコーヒーをすすっている光景だ。ジョッシュは盤に向かい、両手で頭を抱え込んでいる。*3

  近年ではウェブでコーチを雇い、SkypeやWhatsappを通じたオンライン・レッスンも受けられるようです。個人でウェブサイトを開いているマスターも多くいますし、チェス対戦サイト、lichessやChess.comにはコーチ紹介窓口も用意されています。画像はlichessのコーチ一覧です。

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2-2.教室、スクール

  個人相手だけではなく、集団を教えることもあります。教える場は地域のチェスクラブが開講しているチェス教室であったり、「チェス・スクール」や「チェス・アカデミー」という名を冠した常設チェス教室だったり様々です。一例として、セントルイス・チェスクラブが公開している子供向け講座の映像でもどうぞ。

youtu.be

  学校の放課後、課外活動として子供相手のチェス教室が開かれる例も少なくないようです。少し古いですが、放課後に開かれるチェスクラブの様子がわかるVOAの取材映像です。

www.youtube.com

 2-3.セコンド

  トップレベルのチェス選手は、トレーニングや序盤研究のパートナーとしてマスターを雇うことがあります。これらパートナーを務めるプレーヤーのことを「セコンド」と呼びます。*4

  世界選手権タイトルマッチの挑戦者、Fabiano Caruanaのセコンドに入っているRustam Kasimdzhanovやオランダ1位のGMであるAnish GiriのセコンドErwin L'amiあたりがよく知られている「セコンド」でしょうかね。

 

3.メディアで稼ぐ

3-1.出版

3-1.a著述

  囲碁や将棋のように、チェスの世界にも「棋書」があります。

  定跡を解説する「オープニング」本に加え、パズルのようなチェスの終盤「エンドゲーム」の教本、様々な局面に応用できる局面評価やプランの立て方を指南する「ストラテジー」本、テーマ別に選んだ手筋問題の並んだ「タクティクス」本などバラエティに富んだ棋書が出版されています。

  「New In Chess」や「American Chess Magazine」といったチェス専門誌もチェスプレーヤーが著述者として活動する場となります。

  また、囲碁・将棋と同じく、欧州や米国の新聞にも「チェス欄」が設けられていることがありますが、チェス欄では囲碁・将棋のように数回に分けて特定のゲーム全体を解説するスタイルはとられていません。チェス欄を担当するマスターがチェス界の話題やゲームをまとめたコラムを書く、あるいはタクティクス問題を出題する形が主流です。

 

3-1.b映像

  近年では、書籍や雑誌ではなく映像を商品化する例も多くなっています。ChessBaseやChess24、Chess.comといった大手チェスサイトでは、沢山のレッスン映像が販売されています。映像はChessBaseが販売しているビデオ教材のサンプルです。

www.youtube.com

3-2.コメンテーター

  大きなチェス大会はインターネットを通じて生中継されており、マスターが局面の解説を行います。

www.youtube.com実際の中継映像はこんな感じですね。2018年ロシア選手権スーパーファイナル、解説はGM Morozevichが務めました。

3-3.チェス監修

  映画や漫画のチェスシーンで、駒の配置や所作などを指導します。

  映画「ハリー・ポッターと賢者の石」で「魔法使いのチェス」が行われるシーンでは、著名なチェスコーチのIM Jelemy Silman氏が原作の文章に則った局面図を作成しました。

 

4.強引にまとめてみる

  本当は市場調査した報告書なんかが読めればよかったのですが、どうにもそういった類のものが入手できなかったのが残念です。また、私の語学力の都合上、ロシア含む東欧の様子が掴めなかったのも反省点ですね。

  単に高い棋力や競技成績だけで一点突破できるのはトーナメント・プロだけで、他の手段を駆使して稼いでいるプレーヤーたちは棋力もさることながら、生徒を導く指導力や文章表現の能力、自分を売り込んでいく営業力など、盤上の技術以外のスキルも大事になりそうです。

  記事中にも登場したBruce Pandolfiniはコーチとして名高い人物で、評価の高い教本も執筆しているのですが、競技プレーヤーとしてはUSCFが認定する「ナショナル・マスター」の称号を得るに留まっています。Pandolfiniが現役プレーヤーだった年代*5を考えてもプレーヤーとして超一流というわけではありません。それでも、Pandolfiniは立派に「チェスのプロ」として名を成しています。

 「アマチュア」として活動するグランドマスターもいれば、「プロ」として生きていくことを選ぶ非GMプレーヤーもいるというのが面白いところだと思います。 

  

*1:simulと略されることが多い

*2:著者のFred Waittskin氏

*3:ボビー・フィッシャーを探して」日本語版158ページより

*4:単にコーチと呼ぶこともある

*5:昔はGM、IMの数は非常に少なく、70年代後半に入ってもGMの数は百数十人だった。

囲碁・将棋とは異なる、チェスの二日制の話

  先ごろ行われた囲碁名人戦第三局に関して、こんな記事がありました。

www.asahi.comいわゆる「二日制」対局において、一日目の夜にコンピュータ解析の利用を防ぐため、部屋からスマートフォンが撤去されたそうです。

現代の囲碁の世界において、対局が中断した「指しかけ」の夜に対局者を除く外部の局面解析を利用することは良くないことだとされているようですね。

 

  一方、チェスの世界では違った考え方が為されているようです。囲碁、将棋とは少し違った、チェスの二日制の世界を覗いてみましょう。

 

1.チェスの「二日制」は必ず二日目に入らなくてもよい

  囲碁・将棋のタイトル戦では、「二日制」の持ち時間が設定されている場合、必ずといっていいほど二日間時間を使います。一日で指し切ってしまうと珍事件扱いです。

  一方、チェスの「Adjournment」は「時間がかかる場合は指しかけにして二日目に入る」という制度で、一日で指し切ってしまうことも珍しくありません。

  また、「Adjournment」にした場合でも対局を再開せずに投了、あるいは引き分けに合意して対局を再開することなく終局することもあります。

  1972年に行われたSpassky対Fischerの世界選手権タイトルマッチではAdjournmentとなった第21ゲームでSpasskyが電話を通じてアービター(審判)に投了の意思を伝えました。Spasskyが対局場に姿を見せないままFischerの勝利が宣言され、Fischerがマッチの勝者となっています。

 

2.中断中の助力

2-1.中断中の局面分析

  囲碁・将棋については、対局中断中に外部から助力を得ることについてはっきりしたレギュレーションがないようです*1。ただ、冒頭の「スマホ撤去」の記事を読む限り、現代の囲碁の世界では、外部からの助言、コンピュータ解析の利用は「よくないこと」と認識されているとみて良さそうです。

  では、チェスはどうなのでしょうか?19世紀末ごろの大会規約を読むと「Adjournment中の助言を禁止する」旨の規約が書き込まれています。*2

 

……ところが。いつしか、チェス界では「中断中は何をしても良い」という慣習が定着します。これは私の推測なのですが、「外部からの助力の禁止」を規則で定めても、大会主催者側が規則違反を監視することは不可能に近く、定める意味が薄い「助力禁止」の規則は消滅へ向かったのではないかと思います。

  1962年のチェス・オリンピアードでのエピソードはよく知られているところです。ソ連代表Botvinnikとアメリカ代表FischerのゲームはFischerやや有利とみられたポジションで中断されました。ソ連代表チームはBotvinnikのために中断された局面を分析。代表チームの一人、Gellerが引き分けになる筋を発見します。再開後の対局は引き分けとなりました。

2-2.コンピュータの利用

  指しかけ中にチームを組んで検討するのが当たり前だったこともあり、解析にコンピュータを用いることも行われていました。

  まだ総合的な強さではコンピュータが人間のトップに遥か及ばなかった頃から、コンピュータは局面解析に利用されていました。1975年、ソ連のトッププレーヤーであったDavid Bronsteinがチェス・コンピュータ「KAISSA」の開発チームに連絡を取り、中断中のゲームの局面解析を依頼したというエピソードが残っています。*3

  また、日本のトップ選手小島慎也さんのブログでは、小島さん自身の「中断」を挟んだ対局に関する記事を読むことができます。小島さんも中断中にコンピュータの解析を利用しています。小島さんのゲームが行われた時点で既に人類を追い越していたコンピュータですが、それでも「万能」ではないという点が面白いですね。

 

3.消えたチェスの「二日制」

  「チェスの二日制」の話をしてきましたが、ここで残念な事実をお伝えしなければなりません。

  現代のチェスの世界において「二日制」はほぼ消滅しています。

  チェス勢にとってはお馴染みのFIDEの公認競技規則、「Laws of Chess」最新版には「Adjournment(指しかけ)」に関する規定が残っているのですが、殆どの大会では一日で指し切る日程や大会個別レギュレーションが設定されています。日程の詰まった大会では、一日2ラウンド指す日が設けられることもあるぐらいです。

  チェス界最高のタイトルマッチである「世界選手権」が「Adjournmentあり」のルールで行われたのは1996年、KarpovとKamskyが戦ったFIDE世界選手権*4タイトルマッチが最後です。  

  2012年、ACP Golden Classicという大会で「Adjournment」が再導入されましたが、後に続く大会はありませんでした。*5

 

  「Adjournment」消滅の理由についてはっきり語られた記事、関係者のコメントなどは拾えなかったのですが、「Adjournment」の消滅はコンピュータの進歩と重なっているように思います。

  最後の「Adjournment」ありのタイトルマッチが1996年、コンピュータ「Deep Blue」がKasparovに勝ち越したのが1997年です。そして現代は、ラップトップが世界王者を上回り、オンラインで無償公開されている終盤7駒以下の完全解析データベースにアクセスできる時代です。

  コンピュータも万能ではないとはいえ、コンピュータが苦手とする一部の局面を除くと現代の「Adjournment」以降の対局は、「勝利の手順」「ドローの手順」を再現する儀式に近いものになります。それはチェスの競技性や娯楽性を損なうものになるでしょう。

*1:日本将棋連盟の対局規定抄、日本棋院の日本囲碁規約に記述無し

*2:1895年Hastings大会のレギュレーションより。https://books.google.co.jp/books?id=HBMXAAAAYAAJ

*3:http://www.chesshistory.com/winter/extra/computers.html

*4:この時期はFIDEが公認する「FIDE世界選手権」とKasparovらが立ち上げた「クラシカル世界選手権」の分裂期だった

*5:Adjournment再導入についての主催者側のコメントが読める記事。ACP Dolden Classic公式サイトより http://acpgoldenclassic.com/basics-of-adjournment